鈴木淳也のPay Attention
第158回
日本でも広がり始めた「オープンループ」実証実験の最新事情
2022年11月4日 08:20
11月1日に鹿児島市内を走る鹿児島市電での「Visaのタッチ決済」を使った乗車サービスの実証実験がスタートした。クレジットカードやデビットカードなど、国際ブランドのカードで公共交通に直接乗車する、いわゆる「オープンループ」による国内での市電(トラム)の乗車事例としては先日の熊本市電に次いで2例目となる。
大枠で両者でのオペレーションの差はないが、いくつか異なる点がある。
熊本市電では交通系ICカードの場合は乗車時と降車時の両方で読み取り機にそれぞれ“タッチ”する必要がある一方で、オープンループでは「降車時のみ」の“タッチ”だった。鹿児島市電では交通系ICカードとオープンループともに「乗降時両方での“タッチ”」が求められ、ここが一番の違いになっている。
どちらの市電も均一料金のため、本来は1回の“タッチ”でも充分に思えるが、市電が2系統運行されており、それぞれの乗り換えを考慮して「一定時間内であれば乗り換え時の料金徴収は行なわない」ことを明示するための乗車時“タッチ”という役割がある。熊本市電の場合、オープンループではこの機能を省いたために降車時のみ“タッチ”とされていたが(運転手に伝えると「乗換乗車券」が発行されるのでそれを利用する)、鹿児島市電ではこの機能がないにもかかわらずオープンループで乗降時の両方での“タッチ”が求められる。
将来的に対応を予定しているのかもしれないが、現状ではやはり「乗換乗車券」の発行による対応とされているようだ。
今回実証実験で対象となる車両は、鹿児島市交通局が保有する55両のローリングストックのうち25両で、実際に車両が対応しているかは入り口に張られたステッカーなどで判別することになる。全車両が未対応な理由は明確な回答がなかったが、現時点ではあくまで実証実験の範疇であり、今後の状況をみて対応車両を増やすなどの検討に入るという。このあたりは熊本市電とも共通する。
ただ、両者の大きな違いは「鹿児島市電は独自の“ラピカ”にしか対応しないのに対し、熊本市電では“10カード”と呼ばれる全国共通の交通系ICカードを利用できる」という点にある。
例えばSuicaを持って熊本空港に到着した旅行者が、市内への空港バスや市電にそのままSuicaを使って乗車できるのに対し、鹿児島では空港からの移動や市内での移動にSuicaが利用できない。だが、鹿児島では2022年4月から空港バスは南国交通が運行するものに限りオープンループが利用できるようになり(鹿児島市内行きでは全運行本数の半数強)、市電についても対応車両についてはオープンループを利用可能になった。
つまり、熊本におけるオープンループ導入は「決済手段の枠を広げる」ことに主眼があったのに対し、鹿児島では「域外からの旅行客全体に対する利便性の向上」という意味合いが強い。
オープンループは地方交通の救世主なのか
「ラピカ(RapiCa)」は2005年に利用が開始された、鹿児島県内ならびに熊本県と宮崎県の隣接エリアで利用が可能な交通系ICカードだ。サイバネ規格に準拠するFeliCaベースのカードではあるものの、“10カード”との相互運用は実現されていない。従来の紙の回数券や定期券を置き換え、地域移動の利便性向上を目指したものであり、各種割引サービスやチャージ時の1割ボーナスなど特典面で優れる。
域外からの旅行者向けには500円のデポジットを徴収しない「観光おもてなしラピカ」というものも存在するが、交通系ICカードの相互運用が実現されている現在、専用カードを必要とするサービスはむしろ域外旅行者にとっては不便な面が大きいといえる。
鹿児島市電での“10カード”対応について、鹿児島市交通局 交通事業管理者 交通局長の白石貴雄氏は「コスト面で厳しい」と説明する。ラピカについては「将来的にサービスの可否も含めて検討する時期がやってくるかとは思うが、当面は利用を継続する」としつつ、別の決済手段として今回はオープンループを選んだ。
ラピカ以外の決済手段の検討が始まったのは2年ほど前で、その後に公募を経た事業者採択でオープンループがその有力手段として選ばれた。少なくとも、これは「“10カード”に対応するよりもオープンループの方がコスト的に安く済む」ことを意味しており、このあたりは京都丹後鉄道のケースに近い。京都丹後鉄道の場合は鹿児島市電に比べると観光特化の色合いが強いが、一方で少ないながらも地域の足としての側面もあり、こちらについてはQRコード定期券や回数券のサービスを別途提供している。装置そのものはオープンループと共用しているため、コストを抑えつつデジタル化やキャッシュレス化を進める役割を担っている。
このように、“10カード”対応を進めるほどの採算性はないが、決済手段を増やして域外からの利用者の利便性を高める手段としてのオープンループが地方交通を中心に広がりつつある。
高速バスでのオープンループ導入にいち早く着手したことで知られる茨城交通だが、8月2日の発表によれば、2023年12月をめどに既存の路線バスに各種QRコード決済やオープンループを導入する計画だ。
もともと地域向け交通系ICカードとして「いばっピ」を発行しているが、それに加えてオープンループなどに対応することで域外からの旅行者へのキャッシュレスの面展開を開始する。今後も“10カード”未対応地域でこうした事例は増えてくるだろう。
また、やはり空港シャトルでのオープンループ導入意欲が高いことも指摘されている。理由としてはコスト面の問題もさることながら、額面が1,000円を超えるケースが少なくなく、乗客のクレジットカード利用の意向が強いことがあるようだ。
マルチブランド対応と他社の利用・導入意向
日本ではVisaが先行する形となった交通系乗車のオープンループの世界だが、次のフェイズはマルチブランド対応となる。
今回の鹿児島市電を含む、既存の「Visaのタッチ決済」参画事業者の多くは来年春(4月以降といわれる)でのVisa以外のブランドへの対応が見込まれるが、先日九州旅客鉄道(JR九州)が発表したプレスリリースによれば、今年12月中にもオープンループでのJCBとAmerican Express対応が行われるという。
Visaによれば、同社を除くブランドへの対応は交通各社まちまちとのことで、必ずしも同じタイミングで複数のブランドに対応するわけではないようだ。またJR九州もそうだが、Visaのアクワイアリングは引き続き三井住友カードが行なう一方で、JCBや同社がアクワイアリングを行なっているブランド(American ExpressやDiners、Discoverなど)についてはJCB自身がアクワイアリングを行なうことになるという。現時点でMastercardは不明だが、三井住友カードによれば同社がアクワイアリングを行なうことになる可能性が高いと説明する。
なお、日本では3大ブランドとなるVisa、JCB、Mastercardだが、前述のようにマルチブランド対応は来春を見込んでいるとの話があるものの、Mastercardについては現時点で関連アナウンスがなく、複数の関係者が「必ずしも同じタイミングになるとは限らない」と述べている。ある関係者によれば「主にネットワーク側の対応の問題でMastercardの国内オープンループ対応に苦慮している」という話が聞こえてきており、場合によっては対応時期がさらにスライドする可能性があると指摘する。いずれにせよ近いタイミングになると各社からの発表が行なわれることになるため、その時点で改めて答え合わせする形になりそうだ。
そして各社の現在の利用状況についてだが、利用区間や対応機器がまだ限定されていること、コロナ禍などもあり想定人数が集まらなかったなどもありデータの取得ではやや苦戦していた面もあったが、先行導入事例では概ね良好な反応を得ていることもあり、各社がそれを参考に横展開が進みつつあるようだ。
特に福岡市地下鉄は「福岡空港」「博多」「中洲川端」「天神」といった市の中心部をカバーするごく狭いエリアの駅しか対応していないにもかかわらず、空港へのアクセス路線の対応ということで非常によく利用されているという。一方で、JR各社の中で現時点で唯一オープンループの実証実験を行なっているJR九州では、鹿児島本線でも博多近郊のベッドタウンの駅に絞った限定的な実験となっており、あまり観光客を意識していないように思える。これは機器の選定も含めていろいろ実験を重ねていることが理由にあるとの指摘があり、前述の地方交通でのオープンループ導入とは異なる「通勤路線への適用」を意識しているものと思われる。
このように現状の日本国内における公共交通でのオープンループ導入は、先行者が積極的にサービスを導入して実験データを積み重ね、興味を持った同業他社がそれを参考に横展開や面展開を広げるという流れになっている。フェイズとしては、先行者に続くフォロワーが検討や準備に入りつつある段階といったところだ。Visaによれば「来年3月ないし4月くらいに少し大きな実証実験の話が出てくる可能性がある」としている。
また、以前に筆者が別誌に寄稿した記事で「交通系ICカードのライバル「オープンループ」登場 国内の関心度は西高東低」と触れたところ、「その限りではない」との関係者の指摘があった。
実際、オープンループに積極的な鉄道事業者は関西や九州に集中しているのだが、鉄道事業において西高東低の構図が出来上がる理由として、鉄道路線の「相互乗り入れ」がある。東京ではかつて民間事業者が市内(「東京市」と呼ばれていた当時)に乗り入れるに当たって、市電への接続などを条件にして山手線以内への乗り入れを許可しなかった。戦後は地下鉄網の整備が本格化し、東京都では地下鉄を介した郊外型電車の相互乗り入れが実施されることになった。そのため、異なる3社の車両が同じ線路で運行されたり、改札の通過なしでそのまま別路線に移動できたりと、利便性が高い反面、改札の仕組みは非常に複雑なものとなった。
現状でオープンループ導入事業者で相互乗り入れが行なわれているケースは南海高野線と泉北高速鉄道線のみで、それ以外の事業者については基本的に“閉じた”営業区間になっている。関西や九州でオープンループの実証実験が多い「西高東低」が発生している原因であり、関東方面では実証実験含めて導入が難しいと判断できる理由だ。
だが、ある関係者によれば、東京のある大手私鉄がオープンループの実証実験に向けた動きを見せているという。また複数の関係者によれば、その事業者は「相互乗り入れと直接影響のない“閉じた”路線での実証実験を検討している」とのことで、関東の鉄道事業者においてもオープンループの波は遠からずやってくることになりそうだ。