鈴木淳也のPay Attention
第143回
SuicaがQRコード決済に飲まれるという話は本当か
2022年7月15日 12:37
今回は電子マネー、特に交通系ICに関する話題だ。先日、「QRコード決済に完敗した『Suica』」という記事が一部で話題になったが、最新データを俯瞰しつつ、このあたりの情報から掘り下げてみたい。
本連載で'21年9月に「コード決済が電子マネーを抜く日」と題して「(QR)コード決済」と「電子マネー」の利用金額合計に逆転現象が見られたことを紹介した。'21年3月時点の集計データでの比較だが、現在では決済件数も含めて明確に「(QR)コード決済」が「電子マネー」を上回っている。
下記はキャッシュレス推進協議会の「コード決済利用動向調査」と日本銀行の「決済動向」の抜粋だが、該当部分を3月のデータで比較してみると金額で1.75倍、件数で1.28倍となる。表の見方の注意点としては、金額の単位はキャッシュレス推進協議会の方が「100万円」なのに対し、日銀の方が「1億円」となっている部分だ。
日銀の集計では、電子マネーは「楽天Edy」「SUGOCA」「ICOCA」「PASMO」「Suica」「Kitaca」「WAON」「nanaco」の8つのプリペイド型サービスが対象になっている。すべての交通系ICカードを含んでいないが、実質的に「ICOCA」「PASMO」「Suica」の3つだけで全体の利用シェアの8-9割を占めているため、残りのサービスが欠けている状態でも集計上のインパクトは少ないとみられる。また、交通系ICカードのデータは「物販」などの電子マネー利用のみを対象としており、鉄道やバスなどの交通サービスの分は含まない。
ここで1点注目したいのが、「(QR)コード決済」において「実店舗決済」が別集計になっている部分だ。3月部分で全体の決済回数が6億1,406万回なのに対し、実店舗に限定した決済回数は4億59万回となっている。一方で同月の電子マネーの決済回数は4億8,000万回であり、コード決済のそれを上回っている。
ここでいう電子マネーはICカードを利用するものに限定されており、実店舗決済でのみ利用可能なものだ。
つまり、対面決済においてはいまだ電子マネーの利用機会が多いことを意味する。金額面では負けているため、「コード決済の1回の利用金額はやや大きめ、電子マネーはより小額決済」という傾向があることが分かる。また、実店舗決済ではない利用ケースとは、オンラインやアプリ経由のものを意味しており、この点がコード決済の利用を下支えしている構図も分かる。
交通系ICの利用は停滞しているのか
7月1日、交通系ICカードを発行する主要10社から「交通系電子マネーの1日あたりの利用件数が1000万件を初めて突破」という共同名義のプレスリリースが発表された。グラフで1,000万件に到達するまでの過去の経緯が紹介されているが、横方向の軸が一定していないため見た目通りの成長カーブではないが、2017年以降は顕著に伸びていることが確認でき、この時期にキャッシュレス対応で加盟店が急増したことも大きな要因だと推察される。
1,000万件に到達した2022年6月という日付は、1つ前の900万件の2019年8月から比較すると少し間が空いているが、コロナ禍で鉄道サービス利用者が急減したことを考えれば仕方がないだろう。一方で、多少時間がかかったとはいえ、1割以上利用件数を積み増した点に多少驚いている。なぜなら、日銀のデータで見る限りは2つの時間軸の間で利用金額はほとんど増えておらず、決済件数に至ってはむしろ減少さえ見られるからだ。
これについては以前の記事でも触れているが、コロナ禍では人の移動が制限され、交通定期を解約する人が急増した。激減といっていいレベルで、ある関係者の話によれば、JR東日本では安定収入である交通定期の将来的な回復率を7-8割程度と見ており、それに向けた売上の補填策や運行本数の調整によるコスト削減を進めている段階だという。また交通サービスの利用機会減少により電子マネーのチャージ機会も失われ、これが利用の伸びの阻害要因となっている。特にオートチャージ絡みの利用機会損失は大きいとみられ、その対策が重要になってくる。
この状況で日銀の2つの集計を比較してみて、興味深いデータが2つ読み取れる。1つはチャージ残高で、この期間で利用がほとんど伸びていないにもかかわらず、金額が3割ほど伸びている。理由は不明だが、これは面白い現象だ。
もう1つは「(決済)端末の台数」で、こちらも2倍近い伸びだ。政府や自治体の補助金もあり、この時期にキャッシュレス対応店舗が一気に増加したこともあるが、以前にJR東日本は交通系ICカードの利用機会減少に対して「利用できる場所を増やす」「利用機会を増やす」といった対策で挑んでいくと回答しており、それが政府施策と合わさって実現しつつある形だ。また「Suicaエリアの拡大」、「Suica機能を持つ地域連携ICカードを9地域に拡大」といった施策も進めており、これまでほぼ首都圏限定ともいえたSuicaの経済圏を、同社のカバーエリア全体にまで拡大しようとしている。
日銀のデータではまだ見えてこないが、交通各社の共同リリースを見る限り、“交通系ICカードについて”はコロナ禍での停滞または減少傾向からある程度脱出の兆候が見られるのかもしれない。
ICカードの運命とコード決済の今後
冒頭に紹介した記事のもう1つの話題は「交通系サービスでのSuicaの今後」だ。
物販において電子マネーとコード決済の逆転現象が起きていることはすでに明らかだが、交通系ICカード本来の役割は「公共交通での利用」であり、こちらの動向が重要なポイントとなる。
Suicaを含む全国で相互利用が可能ないわゆる「10カード」以外に、各地域で発行される地域振興カードや専用の交通系ICカード、クレジット/デビットカードを使う「オープンループ」、モバイルチケット、そして従来ながらの紙の切符や企画券がその候補となるが、それぞれに一長一短あり、実際にところはどれか1つのみを選ぶというよりも、用途に応じて使い分けが行われているというのが実情だ。
例えば「10カード」は便利だが、都市圏以外のユーザーには使い道がなく、特定地域内での活動がメインであれば地域専用の交通系ICカードで充分だ。なぜ「10カード」ではないのかといえばコスト面の理由が大きく、「地方交通には明らかにオーバースペック」という関係者の声もある。
ゆえに、この手の交通系ICカードは入手性の問題もあり、他の地域からやってくる旅行客や、海外からのインバウンド客には実は使い勝手の面でそれほど利便性が高くない。
ここで登場するのが「モバイルチケット」や「オープンループ」で、このあたりの話題は先日の熊本市電でのオープンループ導入レポートを参考にしていただければ幸いだ。事業会社や乗り物の種類によって支払いや乗り継ぎが分断しているのは不便ということで、より旅行者向けの仕掛けとして注目されるのが「MaaS」だ。現在のところ、地域ごとにMaaSアプリが分散している状態で、必ずしも使いやすいかというと疑問符だが、今後このあたりは解消されてくるだろう。いずれにせよ、キャッシュレスで現金を介さずに公共交通が利用できる環境というのが利便性の面で重要だ。
「ICカードが今後消えるのか」という疑問については、筆者の回答としては「今後10年単位でいえば消えないが、15年、20年先の話は分からない」となる。よく言われる話だが、世界最大の乗降客数を誇る新宿駅のようなターミナルでSuicaを廃した場合、ピーク時の需要を捌ききれるかというと難しいだろう。一方で「QRコード乗車券なんかを導入したら改札が詰まる」という意見に対しては、「専用レーンで分ければ充分」と答える。実際、磁気切符の改札があっても現状で問題なく捌けているわけで、交通系ICカードだろうが残高不足やタッチミスで詰まるケースはある。磁気切符のQRコード化の話があるが、移行の過程で諸処の問題は吸収されていくだろう。
ただ、先ほども触れたように「10カードは地方交通にはオーバースペック」というのは事実で、いくらクラウド化で改札機の軽量動作を可能にしたとしても、トータルのコストでいえばまだまだ高く、導入が難しいという事業者も多い。そこで「モバイルチケット」や「オープンループ」の登場となるが、特に観光客の多いエリアでは有効な手段であり、前述の熊本市電でのケースでも「基本的には取り扱う決済手段を増やして取りこぼしがない方が利便性向上で重要」(熊本市交通局)と述べており、当面はハイブリッドな形で複数の決済手段を受け入れる形で併存しそうだ。
実際、近年はこのような形で複数の支払い手段があることで現金払いの場面は減っていると感じており、筆者が過去1カ月間に大阪、金沢、熊本の3つのエリアを取材で周遊したとき、現金払いを求められた場面は尼崎でタクシーに乗ったときだけだ。
「今後10年を経ても交通系ICカードは残る」一方で、その比重は落ちていくという見方もしている。JR東日本はSuicaを戦略的なツールと見立てて前面に関連サービスを押し出しているし、2023年にはJR西日本から「モバイルICOCA」が登場する。これらは交通系ICカードの主導的立場にある会社だが、先日も解説したように、残りの地域、特に西日本方面においてはオープンループ導入に積極的な鉄道事業者が多数出現しており、相対的に交通系ICカードの比重を落としていく可能性が出てきている。
関係者によれば、ある大手事業者では自ら交通系ICカードを発行することを段階的に縮小し、オープンループ側に寄せていく計画があるという。当面は既存の交通系ICカードも受け入れるとみられるが、それがすべてではないという大きなトレンド転換だ。
「オフライン決済」という選択肢
先日、KDDIの携帯ネットワークで大規模障害が発生し、多くの利用者がほぼ2日間にわたってデータ通信や通話が行なえない状況に陥った。スマートフォンなどの利用者はもちろんのこと、ここでの問題は通信モジュールを組み込んだ業務端末が一斉に利用できなくなった点で、特にヤマト運輸をはじめ携帯回線を前提に決済を行なっていたサービスが多大な影響を受ける結果になった。
「日本においてインフラは使えて当たり前」という状況を覆したわけで、数時間程度の障害ならいざ知らず、ある程度状況が改善するまでまる2日間、完全復旧まで3日間ほどというのは最近では最大規模の障害だろう。
実は、この「交通系ICカードの次」という話題とこの障害の話は無縁ではない。Suicaなどの強みの1つとして、「処理の高速さ」がよく知られているが、この秘密の1つは「ローカル処理」にある。
改札機がインテリジェント化されており、ICカードがタッチされたタイミングで改札機との処理は完了してしまい、いったん駅に設置されたサーバで処理が行なわれた後、センター側のサーバと定期通信で情報のアップデートを行なう。リアルタイムでネガ情報が反映されないといった問題はあるものの、2000年前後にサービスが開始された当時としては高速処理が可能であり、「電源さえ供給されていればオフライン処理が可能」という特徴がある。さすがに障害が2日間の場合の対応は難しいだろうが、今回のような通信障害には強い構造だといえる。
他方でオープンループはクラウド処理という性質もあり、通信環境がつねに利用できることが前提となる。磁気切符からの置き換えが検討されているとされる、QRコード切符についても同様だ。
またJR東日本ではコスト削減のため、Suicaの処理を各駅ではなく、複数の駅を束ねる形でクラウド対応していくことを表明しており、もし通信障害が発生した場合の対応が課題となる。ある関係者によれば、交通系ICそのものをローカル処理からクラウド化していくプランもあるということで、KDDIの件を教訓にしつつ、今後検討が進められていくことになるだろう。
実は現在日本で進められているオープンループの実証実験では、その多くはLTE回線を経由して改札機とクラウド側の通信を行なっており、実は携帯電話ネットワークの障害に弱い構造となっている。実際のサービスインでどうなるかは分からないが、「ネットワークが利用できないときの運用方法」というのはつね日頃から考えておくべきだ。
こうした話題を踏まえ、次回は「オフライン決済」をテーマに進めたい。