鈴木淳也のPay Attention
第139回
Apple Pay登場前夜の黄昏
2022年6月3日 08:20
前回に引き続き「モバイルNFC」の歴史をさらっていきたい。
世界的にモバイルNFCのプロジェクトが立ち上がり始めたのは2010年のことであり、それが一気に開花したのが2011年となる。各地でモバイルNFCを導入するパイロットプログラムのデモンストレーションが行なわれ、次々と開催される国際会議や展示会場で多くの企業関係者が集まり議論を交わし、自らの製品やソリューションをアピールする姿が見受けられた。一方で、すでに不穏な空気も醸し出しており、“利権”争いに起因する足の引っ張り合いなどの風景も目立つようになった。そんな一例を紹介するところから始めたい。
争うセキュアエレメント搭載方式
まずは基本のおさらいだが、当時のモバイルNFCの世界では主に3つの機能実装方法が考案されていた。1つめが「SIM方式」で、モバイル端末などに挿入されているSIMカードに必要な情報を格納してNFC決済やオンライン決済に利用する仕組みだ。NFCアンテナ(コントローラ)とSIMカードの間には「SWP(Single Wire Protocol)」というGemalto(現在はThales Groupの一部)が特許を持つ技術で通信が行なわれ、モバイルOSの制御から離れた形で、SIMカード内の「セキュアエレメント(SE:Secure Element)」に格納された(Java)アプレットとNFCアンテナが直にやり取りすることで決済可能な点が特徴となる。
実装の2つめの方式が、このセキュアエレメントをモバイル端末本体に内蔵する「eSE方式(Embedded SE方式)」で、日本のおサイフケータイで搭載されているFeliCaモジュールはこのeSE方式を採用している。
最後の3つめが「SDカード方式」などと呼ばれるもので、SDカード内にセキュアエレメントと「NFCアンテナ」の“両方”を内蔵してしまう。セキュアエレメントを内蔵した“シール”をSIMカードの端子部に“貼り付けて”一部の制御を乗っ取る「SIM Overlay」という仕組みも、大枠でのこの「SDカード方式」に含まれるが、SDカード方式最大の特徴が「モバイル端末そのものがNFCに対応している必要がない」ことが挙げられる。実際、SIM Overlayが多用されているのはインドであったり、SDカード方式でのパイロットプログラムが初めて実施されたのが2010年前半ごろのまだ山塞機の市場が生き残っていた中国だったりと、どちらかといえば新興国向けのソリューションだったといえるだろう。
結論からいえば、今日の市場のモバイルNFCはApple Payやおサイフケータイが採用する2つめの「eSE方式」であり、3つめのSDカード方式は「SIM Overlay」などの形で細々と生き残っている。SDカードを利用する仕組みそのものは、中国での中国移動通信(China Mobile)と銀聯の共同プロジェクトによる実証実験で「アンテナの感度が悪く、NFC通信が行ないにくい」などの理由で不採用になったとみられており、同国での決済サービスは2013年以降に規制緩和されたインターネット系企業のアクワイアリング業務参入によってAlipayやWeChat Payに取って代わられ、やがてeSE方式のモバイルウォレットに吸収されていくことになった。
そして1つめのSIM方式だが、現在ではほぼ残っておらず、eSE方式に対抗するのは上記3つのどの方式にも属さない「HCE(Host Card Emulation)」となっている。実はモバイルNFC元年の2010年から、Apple Payが登場する2014年まで、最も有力な方式はSIM方式とされており、特に携帯キャリアや周辺サービスを提供するベンダーによって強烈にプッシュされていた。現状の顛末を把握したうえで当時を振り返ると、非常に興味深いものがある。
この時期、筆者が毎年参加していたモバイルNFC絡みの会議や展示会は、GSMAのMobile World Congress(MWC)、NFC World Congress、Mobile Money Summit(NFC & Mobile Money Summit)、ICカード関連で歴史の長いCartes(パリ、米国、アジアの3地域開催で、現在のTrustech)、モナコのWIMA(モナコと米国の2地域開催)。このうちGSMAの開催する展示会は携帯キャリアの意向が非常に強く、「SIM方式でなければモバイルNFCにあらず」といった空気を醸し出していた。ただ、実際にSIM方式で多数のパイロットプログラムが実施されていたのも事実で、2015年に開催されたミラノ万博に向けて現地での実証実験が行なわれた際には、Mobile Money Summitの会場をミラノにし、来場者に街中をまわってデモ体験を可能にするサービスを提供するなど、非常に普及に熱心だった。
Googleへの妨害工作
さて、こうした活動をしていたGSMAが最も警戒していたのがGoogleだ。2010年代はちょうどスマートフォンが一般にも認知されはじめ、Android搭載端末の比率が急増していた時期だ。Googleも「Google Wallet」というモバイルウォレットサービスを発表し、自身が販売するハードウェアのNexusシリーズにプリセットする形で提供を行ない、この分野への進出を目指していた。
Google Walletは「eSE方式」のサービスであり、セキュアエレメントをモバイル端末本体に内蔵したAndroid端末で動作する。最初の対応端末となったのはNexusシリーズ2世代目の「Nexus S」で、米国キャリアのSprintの販売網から提供される端末が対象となった。サービス開始直後の2011年10月には、米イリノイ州シカゴで開催された「4G World」にて、Google Wallet事業担当のOsama Bedier氏がサービス紹介を行なっている。
Nexus Sの段階ではSprintならびに決済機能でサポートされる特定の銀行との契約が必要で、ローンチも非常に限られたものだった。そのため3世代目の端末となる「Galaxy Nexus」ではより広範での展開を狙っていた。
ところが、Galaxy Nexusの米国でのローンチパートナーとなるVerizon Wirelessが同端末の「Google Walletアプリが導入された状態での取り扱い」を頑なに拒否し、最終的にこの条件をGoogleがのんだ形で'11年12月に端末はVerizon Wirelessより提供が開始された。おそらく同社との独占提供契約が原因と思われるが、Galaxy NexusのSIMロックフリー版ならびにSprint対応版のローンチは翌年'12年4月となる。つまりVerizon Wireless、ひいてはその背後にいるGSMAら携帯キャリアらの意を汲む形でGoogle Walletのローンチが半年ほど遅らされたわけだ。
携帯キャリア、特に欧州を地場にするキャリアがGoogleを酷く敵視していたという話は、取材中頻繁に聞いた。例えば、2013年9月にMicrosoftがNokiaのモバイル端末部門買収を発表しているが、これを踏まえて買収がほぼ確定的になった2014年2月に開催されたMWCでキャリア各社の首脳が集まった会議では、「買収したのが(Googleではなくて)Microsoftで本当に良かった」という意見が大勢を占めていたと同会議に参加した関係者の1人が語っている。
同じ米国企業ではあるものの、Microsoftは雇用も含め買収したNokiaの部門に一定の配慮を見せており、同時にGoogleのように勢いをもって市場を飲み込もうとする勢力とは異なる存在と考えられていた。また、当時のスマートフォン市場で囁かれていた「AppleでもGoogleでもない第3のOS」という視点で、MicrosoftがGoogleのライバルとなり同社を牽制することにも期待していたようだ。
そしてもう1つ重要なのが、AT&T、T-Mobile USA、Verizon Wirelessの米国携帯キャリア3社が主導のモバイルウォレットサービス「Isis(アイシス)」の立ち上げを間近に控えていたこともあり、競合となるGoogle Walletの存在を看過できないという面もあった。Isisのプロジェクト開始時期は2010年と決して遅くはなかったものの、2都市を対象としたトライアル開始は2012年、実際のサービスインは2013年末と、Google Walletに比べて大きく水を開けられている。この期間、何度も関係者に質問をぶつけていたものの、正式ローンチ発表まで状況がほとんど説明されなかった記憶がある。また正式ローンチ後にサービス名称を「Softcard(ソフトカード)」へと変更し、しかも名称変更から半年ほどでサービス終了に至るなどいろいろな混乱があった。名称変更は当時の世界情勢を反映したもので、関係者にとっては「不運だった」というしかないが、一般ユーザーの間で認知が向上する間もなく、ほぼひっそりと消えていった。
Googleのみならず、当時のGSMAを含む携帯キャリアらは周辺工作による競合サービスの妨害や自らが有利になる布石に余念がなかった。その一部は以前のApple Payの記事の中でも触れたが、SWP採用の必須化で関連団体に圧力をかけたり、販売網のコントロールであったりと、自らの立場を最大限に活用する形で動いている。一方で、その肝心のサービスが携帯キャリアからほとんど出てこないわけで、ユーザーにとってはたまったものではない。パイロットプログラムを提供した段階で各種セキュリティ上の問題が発見され、本来であればロンドン五輪終了後の2012年秋にすぐに一般提供開始予定だったモバイルNFCサービスも、1年以上遅れたうえ、ほぼ自然消滅の形で立ち消えになっている。
また利用がほとんど広まらなかった理由として、ユーザーへの認知度の低さもさることながら、使い勝手が悪かったというのもあるだろう。最初期のモバイルNFCの決済サービスはプリペイド型が中心だったが、以後はクレジットカードを組み合わせるものが増えてきている。ただ、Google Walletにみられるように組み合わせ可能なイシュアの種類が極めて限定されていたりと、一般的ではない。最初から強力なリーダーシップをもってパートナーを獲得し、こうした課題をクリアできた初めてのサービスがApple Payといえる。
そして停滞期へ……
このように業界での足の引っ張り合いからサービスはなかなか立ち上がらず、仮に立ち上がったサービスは諸処の問題でユーザーの支持を得られずに自然消滅していく流れで、2012年から2013年の期間は過ぎていった。モバイルNFCという宝島を目当てに新たに立ち上がったビジネスや堂々と乗り込んできた周辺ベンダーはすでにこの世界で深く食い込むことを諦め、少しずつフェードアウトしていった。筆者が定点観測していたイベントで面白い話題が参加人数で、例えば例年春から初夏の時期に米国で開催されていたCartes Americaだが、筆者が参加した2012年のタイミングは会場が人でいっぱいだったものの、2013年から2014年と時が経つにつれ半減または3分の1程度の人数になる状態を繰り返し、2015年に米ワシントンDCで開催されたイベントでは、数百人単位で収容できそうな講堂に筆者含め5人ほどしか聴講者がいなかったのを記憶している。
この当時の業界の雰囲気を端的に表したのが次のスライドで、これはCartes America 2014でABnote(American Banknote Corporation)会長兼CEOのSteven Singer氏が紹介したものだ。セキュアエレメントで勢力争いを続ける陣営と、セキュアエレメントを必要としないHCE陣営がVisaなどの“キー”となるベンダーの奪い合いをしている図だが、すでに陣地争いでサービスがなかなか立ち上がらない現状に嫌忌していた国際ブランド関係者にとっては、サービスが立ち上がって利用が広がることが重要だったというわけだ。
このようにセキュアエレメントの実装方法で争っていては埒が明かず、メーカー各社のAndroidデバイスへのモバイルNFC実装が進まないと判断したのか、Googleは2013年ごろから方向転換を始め、モバイルNFCの実装方法としてはHCEを模索するようになった。もともとは2012年ごろから研究が進んでいた仕組みで、実は最初にこの技術を採用したのはResearch In Motion(RIM)のBlackBerryだった。Androidへの実装が初めて行なわれたのは2013年10月にリリースされたAndroid 4.4 KitKatで、以後はAndroidの標準機能になった。
AndroidにおけるHCEの特徴として、NFCに対応した機種であればセキュアエレメントの有無に関係なくCE(Card Emulation)の機能が利用できる点にある。HCEで利用される決済用のトークンが存在するのはGlobalPlatform(GP)が定義するTEE(Trusted Execution Environment)の領域の部分で、Android OSとは別に存在する。仕様上、Androidデバイスの電源がオンの状態でOSが動作している必要があるが、使い勝手としては他のセキュアエレメント型のモバイルOSと大差はない。
ただしHCEの難点として、日本のおサイフケータイのようなFeliCaアプリケーションの動作が難しい。HCE-Fというモードは存在するものの、FeliCa SEのエミュレーション動作が難しいため、手間に対して実用的ではないというのが現実だ。
余談だが、AndroidデバイスにおけるFeliCaチップの扱いをどうするかというのはモバイルNFCがグローバル展開され始めた2010年代に入ってからの長年の課題だった。おサイフケータイを推進するのはNTTドコモを始めとする携帯キャリア陣営だったため、当然ながら当初はSIMカード、つまりUICC内のアプレットとして他のType-A/B型のアプレットと合わせて共存させる方式を模索していた。だが実際のところSIM方式そのものが頓挫してしまい、現状でSIMカードをターゲットにした決済関連のアプリケーションを配布するTSM(Trusted Service Manager)は国内向けに動作していない。
結果としては、Android向けには従来のおサイフケータイ同様にFeliCa SEがそのままデバイス内に残り、他の決済向けアプリケーションはHCEを介して提供される形態と、下記の図でいう一番左側の方式になっている。SIMカードにFeliCa SEを寄せられなかった大きな理由は「コスト問題」で、後にSIMカード内でType-A/B環境上にFeliCaエミュレーションを行なう仕組みを模索してみたものの、端末との相性問題が致命的で、検証の手間やコストから採用を断念したという経緯がある。結局、当初国内携帯キャリアが描いたType-A/BとFeliCaの両SE統合の仕組みは、Appleが「Secure Enclave」と呼んでいるiPhoneに内蔵されたeSEの領域に存在する形で実現している。
また、2012年から2014年までの間に立ち上がるはずだったサービスが登場せず、そのままフェードアウトしていった背景に、政府などの補助金が打ち切りになったという事情もある。これはモバイルNFCの歴史のなかでほとんど語られることがなく、記録としてもほとんど残されていないのだが、壮大なプロジェクトを掲げてアピール作戦を繰り広げた理由に「政府の補助金を獲得する」ことが念頭にあり、そもそもビジネスとしての損益モデルを考えていなかったという話を、同期間の関係者への取材で聞いている。典型的なものがフランスの「Cityzi(シティジィ)」で、最初の展開都市となったニースでは比較的長く痕跡が残っていたものの、2番手以降のストラスブールやボルドーでは1年経たずにほぼ痕跡が消滅している。
Cityziのその後を調べるべく、筆者は展開後1年が経過したストラスブールを訪問した。街中にCityziの痕跡がまったくなく、サービスや端末を販売していたOrangeの携帯ショップで店員を捕まえて聴き取りを行なったところ「Cityziなんて知らない」というコメントばかりが返ってくる。ようやく店員の1人がその名称を知っており、顛末を聞いたところ、サービスが開始した最初の数カ月は店内にも掲示があったものの、すぐに消えてサービス提供もなくなったという。つまり、フランス全土を巻き込んだ壮大なモバイルNFCはとっくに頓挫しており、携帯キャリアを含む関連各社の活動もまた政府の補助金ありきという流れだったと考えている。2010年代前半に急に盛り上がったモバイルNFC世界の裏側は、実は一部業界の縄張り争いと、こうした政府の補助金の投入の結果盛り上がっていたというのがその真の姿だったのだろう。