鈴木淳也のPay Attention

第122回

デジタルワクチン接種証明書は普及するのか?

10月末に米ネバダ州ラスベガスで開催された「Money20/20 USA」では入場バッジ受け取りの前にワクチン接種証明を提示する必要があった

長らく予告されていた「ワクチン接種証明書(Vaccine Cert)」アプリが12月20日、ついに正式リリースされた。

詳細は既報の通りだが、iOS 13.7以降またはAndroid 8.0以降を搭載し、NFC Type-Bに対応したデバイスが必要になるほか、登録にあたってはマイナンバーカードが求められる。ワクチン接種証明は国内向けと海外向けの2種類の発行が可能だが、後者を利用したい場合はさらに有効期限内のパスポートが必要。

今回はマイナンバーカードとスマートフォンを組み合わせた公共サービスという点と、今後この「ワクチン接種証明書」をいかに活用していくのかという2点から話題に触れたい。

非常に好印象なアプリ

新型コロナウイルスに関連した一般配布を前提とした政府公式アプリとしては「COCOA」に次ぐ2つめのリリースとなるが、前回さんざんゴタゴタを見せられた所以か、今回は予告通り「(2021)年内リリース」との公約を守り、かつ割と完成度の高い形でリリースされており、個人的に(COCOAの時点では存在しなかった)デジタル庁の面目躍如といった印象を受けている。

詳細は後述するが、現時点で目立ったトラブルはそこまで報告されておらず、同庁が指示する「マイナンバーカード」「パスポート(海外向けの発行を行なう場合)」の2種類の証明書を用意しつつ、アプリをインストールする動作要件を満たしたデバイスさえあれば、ほぼ素直ですぐにでもセットアップができる手軽さだ。ユーザーインターフェイスもシンプルで分かりやすくまとめられており、何ができるのかいまひとつ不明だったCOCOAに比べてもだいぶ洗練されている印象だ。

「ワクチン接種証明書」アプリのメイン画面

必要な情報はこの画面ですべて含まれているため、これだけでも運用は問題ないのだが、画面やアプリを偽造して接種情報を偽るユーザーがいないとも限らない。そこで情報の偽造が行なわれていないことを示すため、本人情報や接種情報を含んだQRコードを表示させることで、偽造防止策が採られている。

海外向けでは「ICAO VDS-NC(Visible Digital Seal - Non-Constrained Environments)」と「SMART Health Card(SHC)」の2種類のフォーマットのQRコードを切り替えて表示できるようになっており、適時使い分けが可能だ。国内向けは基本的にSHCのものに準拠している。QRコード表示画面では秒単位でカウントダウンが行なわれており、スクリーンショットのような静止画でないことが示されている。

QRコードそのものに名前などの情報が含まれているため、公的身分証と組み合わせれば本人以外が当該のQRコードを利用するのは難しくなる。またiOS版ではウォレット(Wallet)にワクチン接種情報とQRコードを表示することが可能で、いちいちアプリを開かずともロック画面から最短ステップで証明書の表示が行なえる。

ワクチン接種証明のQRコードを表示させたところ。カウントダウンが行なわれているので、スクリーンショットではないことが示されている

アプリの使い方としては本当にこれだけで、何も難しいことはない。これまで相手の求めに応じて紙の接種証明や記録書を持ち歩く必要があったことを考えれば、普段使いのスマートフォンに入れてすぐに取り出せるようになるのは「デジタルウォレット」の観点からいえば正常進化といえるだろう。セットアップにマイナンバーカードが必須なため、今後物理カードではない形で同カードがデジタル化されてスマートフォン上に入った場合にどのような対応が行なわれるかは不明だが、「スマートフォン1台あれば“お財布”は必要なし」という世界へとまた一歩近付いたといえる。

マイナンバーカードを読み込む。4桁の暗証番号を間違えてロックされないように(筆者は昔ドイツで確定申告しようとして数字を間違えてロックされ、帰国まで何もできなかったことがある)
海外向け接種証明書の発行にパスポートを読み込ませる。こちらはOCRで処理される

「ワクチン接種証明書」システムの実際

このように個人的には好印象だった今回のアプリだが、公開直後に試した方々から「登録できなかった」という報告がソーシャルネットワーク上に散見されて話題となった。特に問題となったのがマイナンバーカードで「旧姓併記」が行なわれているケースで、筆者のTwitterのタイムライン上だけでも次のようなツイートが上がってきている。一方が結婚等で苗字が変わった方もう一方が外国出身の方でローマ字併記が行なわれたケースだが、いずれも「60910」エラーで登録を拒否されている。

これはアプリの解説にもある初期リリースの仕様で、FAQの当該項目にも「マイナンバーカードに旧姓併記がある場合は接種証明書の発行はできません」となっている。現時点では「市区町村窓口等で発行する紙の接種証明書については、マイナンバーカードに旧姓併記がある場合も発行可能」と案内している。

夫婦別姓問題も絡んで話題になったこの仕様だが、同アプリをリリースしたデジタル庁のVRS(ワクチン接種記録システム)の広報担当者に質問したところ「旧姓併記のフォーマットに由来する」問題だと認める。

具体的には、マイナンバーカードの氏名フィールドには通常「苗字+名前」の形で情報が記載されているが、旧姓併記などの際には“[ ]”の括弧で付記的に情報が追加されているという。そのため、括弧内の情報をどのように扱うかという部分を初回リリースでは判断を見送ったというのが実情だ。

単純に考えれば括弧内の情報を除く、あるいはそちらの情報を優先して登録するといった対応が可能かと思われるが、おそらく括弧内に「どのような情報が含まれているか定かではない」という可能性と、もしものトラブルを想定してアプリとしての機能よりもリリース時期を優先したようだ。

担当者によれば、問題そのものは認識しており、優先対応案件の1つにあるという。その意味では対応さえ決まればやること自体はシンプルなので、おそらく対応版アップデートの登場はそれほど時間がかからないと筆者は考えている。

「それくらい簡単に対応できるだろう。なぜ完成してからリリースしないのか」という声もあるかもしれない。だが予想もしないトラブルを抱えた状態でリリースしてアプリの即取り下げのような事態を起こすよりも、現時点で完成度の高い状態でアプリをスケジュール優先でリリースし、トラブルの芽はじっくり潰していくというのは賢明な判断だと思う。少なくとも筆者がプロダクトマネージャだったとしたら、同じような判断をしていた。

マイナンバーカードから取得する情報の一部

なお、当初デジタル庁から回答を得るまでは、「VRSのデータベースとのマッチングの問題などがあるのか」といった複雑な事情があるのかと考えていたが、今回の理由はシンプルで「旧姓併記がフィールド内に発見された場合は登録を中止する」という運用になっていただけだ。そのため、旧姓併記そのものはVRSとのデータの突き合わせで問題となることはなく、あくまで「ワクチン接種証明書」を作成するためのデータ抽出方法の問題に起因するというのが担当者の回答だ。

ワクチン接種証明書の作成にあたっては、マイナンバーカードから氏名などの基本情報を抽出しつつ、パスポートからは海外向け証明書のローマ字表記やパスポート番号等、VRSからは接種情報をそれぞれ取得してマージし、最終的にQRコードに落とし込むという流れになる。下記がQRコードに含まれる情報の一覧だが、各国で求められるデータ方式をサポートするために複数の情報を組み合わせていることが分かるだろう。

ワクチン接種証明書のQRコードに含まれる情報

実際にどう運用していくのか

ワクチン接種証明書……いわゆる「ワクチンパスポート」はそれ単体では機能せず、実際にビルや施設の所有者やイベント運営者がいかに活用するのかというソリューションの部分が重要になってくる。ただ、以前にもレポートしたようにワクチン政策を担う内閣官房では、国として利用を強制したり特定の利用方法を推進するようなことはなく、あくまで民間に任せ、ワクチンパスポート活用による経済交流の活発化に期待したいというスタンスだ。

今回のアプリが初お披露目されたタイミングで、記者への説明を行なった内閣官房の担当者も同様のコメントを出しており、政府のスタンスは変化していない。デジタル庁としては「アプリのリリース」までが仕事であり、それ以上先の普及策やプロモーションは管轄外という考えだ。つまり、政府や自治体が動かないようであれば、これを積極活用しようとする事業者や小売店の組合などが出現しない限りは次に進むことはないと考えていいだろう。

このように対策そのものは丸投げ状態に近いが、活用の糸口だけは用意されている。今回のアプリではほとんど注目されなかったが、同アプリには「二次元コードを読み取る」という機能が用意されており、相手のワクチン接種証明書の有効性を確認できるようになっている。少なくとも個人商店レベルであれば、このアプリ1つあれば一通りこなせるというわけなのだろう。

ワクチン接種証明書アプリに用意された「相手のQRコードを読み取る」機能

だが、これでは不十分なのは目に見えている。飲食店などが安全性をアピールするには手間がかかりすぎるし、メリットはそれほどない。先日、米カリフォルニア州サンフランシスコを訪問した際のレポートにもあるが、現地では飲食店やイベントスペースへの入場はワクチン接種証明の提示が「必須」であり、店舗も“嫌々”ながら毎回入り口でチェックを行なっている。

本来、これくらい強制性がなければモチベーションが沸かない仕組みであり、おそらくは今回の「ワクチン接種証明書」アプリも一部のイベントや政府関連の施設などでの活用に留まるというのが筆者の考えだ。

理由はシンプルで、強制性でもない限り飲食店などにとってはデメリットしかないこと、そしてイベント興業では短時間に大量の入場者を捌く必要性から入り口での逐次チェックが厳しく、破綻するのは目に見えている。後者は「イベント開催前にワクチン接種証明書の事前提示を求めてチェックを完了させておく」ことで回避できるが、現状の「ワクチン接種証明書」アプリの仕組みではオンライン利用を想定した形にはなっていないため、結局、公的身分証と接種証明書(紙でもQRコードでもいい)をオンライン提出しておき、“手動”でチェックする形になる。

前出の米国でのイベントのほか、欧州連合が提供している「EU Digital COVID Certificate」も、登録はオンライン提出した書類を目視チェックで検証して“手動”登録しているだけで、結局は人海戦術とならざるを得ない。実際のところ、「ワクチン接種証明書」のアプリ化とは入り口でしかなく、その運用の方がより難しい。

こうしたシステムを広く、そして少しでも有効活用してもらうには、「なるべく“緩く”運用する」というのもコツなのかもしれない。先ほどのサンフランシスコのケースでは、カリフォルニア州からモバイルアプリが提供されているにもかかわらず、実際には「紙の接種証明書の写真を見せるだけでいい」という“緩い”運用だ。それでも観光地を中心に抵抗していた飲食店がそれなりにあったという話で、システム化の先を見据えた施策が重要だ。

米サンフランシスコでは店内飲食にワクチン接種証明書の提示が必須だが、ハイテクは求められておらず、紙の証明書の写真を見せるだけでいいという非常にシンプルなもの

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)