鈴木淳也のPay Attention

第93回

イベント興業での“非接触”の未来

ローマのコロッセオ。西暦80年の完成から西ローマ帝国崩壊の何百年間にもわたって幾度かの疫病の流行に見舞われたが、どのように障害を切り抜けてきたのだろうか

歴史的な新型コロナウイルスの大流行が、これまで当たり前のように行なわれてきた大規模イベントのあり方そのものを変えようとしている。

先進国を中心にワクチン接種が急速なペースで進んでいるが、コロナウイルスの流行が小康状態に落ち着くまでにはまだ数年かかるとみられる。スポーツゲームやライブなど、これまでであれば多くの人々が集まって短時間に盛り上がるイベントの数々はその人気と熱中のバロメーターとして機能していたが、現在ではそれが逆に感染拡大の震源地になる危険性を秘めている。

ゆえに無人会場の中継や人数を極端に制限しての入場など、イベントそのものの灯火を消さずに、なんとか興業を継続していけるよう、主催者らは将来的な参加体験の変革に向けて知恵を絞り始めている。

メジャーリーグでの実験

スポーツイベントにおける課題は2つある。1つは短時間に密集状態ができやすいこと、もう1つは盛り上がりのバロメーターでもある“声援”が感染拡大の原因となりやすいことだ。そのため、入場からスタジアム内の人数制限、現地での行動まで細かい制限がかけられている。

例えばMLB.comが公開しているワシントン・ナショナルズの本拠地であるNationals Parkの2021年シーズンの利用ガイドによれば、入場は2時間前から開始され、あらかじめ入場者に配布されている色分けされたデジタルチケットのカラーに合致した入り口から入場することになる。これは特定の入り口に人が密集しないための工夫だという。

入場に際しては2歳以上はマスク着用が必須で、もし手持ちがない場合はスタジアム側から提供される。飲食時のみ外すことが許され、もし着用ルールに違反が見られたと判断された場合は強制退去の対象となる。持ち込み制限も厳しく、医療上などやむを得ないケースを除いてバッグ類の持ち込みはすべて禁止される。シートは連接シート1列あたり1-6人に制限され、同じブロックでの着席は基本的には家族連れなど身内のグループに限定される。

飲食など買い物についても、接触機会低減のために現金利用が制限され、キャッシュレスまたはアプリ経由の決済のみとなる。また提供される食べ物についてもすべて個別包装となっており、感染対策は徹底される。

実際、メジャーリーグ(MLB)における人数制限はかなり厳しく、CBSが公開している各球団のメインスタジアムの2021年のキャパシティはおおよそ20-30%の範囲に収まっている。今後の状況をみて枠の拡大の可能性にも触れられているが、おそらく2021年中はこの水準のままシーズンを終えることになると予想する。

ニューヨーク・メッツの本拠地Citi Field

2021年シーズンは約4万2,000人のキャパシティのうち8,400人まで、20%の稼働率に収められているニューヨーク・メッツの本拠地Citi Fieldだが、このスタジアムは比較的先進技術導入に積極的なことで知られている。

写真は2014年にiBeaconの実験取材のために訪問したときのものだが、Bluetooth LEを使ったアプリ連動の通知サービス採用の先駆けだったといえる。Wall Street Journalの2020年8月の「Facial Recognition’s Next Big Play: the Sports Stadium」という記事によれば、ニューヨーク・メッツとロサンゼルスFCはスタジアムの入場プロセスにおける顔認証導入を進めており、メッツの場合は選手の入場識別に実際に利用を開始したとしている。

両チームに限らず、関係者らはVIPとシーズンチケット保持者限定でサービスの提供を検討しているということで、関係者のセキュリティチェックのみならず、比較的広い範囲で「タッチポイントの削減」を行なってコロナ禍における安全性を確保したいとの思惑だ。

Citi Fieldにモバイルチケットを提示して入場する来場客(2014年撮影)
モバイルチケットで入場したところ、控え券を手渡された(2014年撮影)
大雨が降りしきるなか盛り上がるメッツのホームでの試合(2014年撮影)

もともとメジャーリーグではモバイルチケットなどの導入が進んでおり、2018年にはAlclearの「CLEAR」の技術を使って指紋認証による入場管理を導入したスタジアムが多数出現している。米国に比較的最近訪問したことがある方ならご存じかと思うが、同国の空港ではCLEARのバイオメトリクス認証を使った専用のセキュリティゲートが設置されていることが多く、本来であれば運転免許証やパスポートなどの提示が必要なセキュリティチェックにおいてハンズフリー状態で通過が可能になっている。

実はニューヨーク・メッツが導入した顔認証システムもAlclearの仕組みであり、将来的にCLEARを導入した他のスタジアムについても指紋認証から顔認証導入へと進んでいく計画があるようだ。

東京ドーム、甲子園球場、PayPayドーム……

こうしたなか、日本においても同様の取り組みがほぼ並行して進められている。東京ドームでは2021年のシーズンに選手やスタッフ限定での顔認証入場システムの運用を開始するほか、4月の開幕戦以降は一般利用者を対象にした顔認証決済の実験をスタートさせる。内容は平澤寿康氏のレポートに詳しいが、志向的にはCiti Fieldでのサービス内容に近い。安全性とプライバシーの両観点から対象を限定したうえで、一般客向けにはバーコードや二次元コードを印刷したチケットやモバイルチケットを提供して、可能な限りセルフ入場による接触機会低減を目指す。

安全・快適を目指す東京ドーム。顔認証技術を利用したDXの取り組み

東京ドームの外観
スタッフ向けの顔認証ゲートを利用中の様子(撮影:平澤寿康)
顔認証決済の様子(撮影:平澤寿康)
「自動電子入場ゲート」と呼ばれるセルフ入場のためのゲート

同様に、甲子園球場においても顔認証によるスタッフ向けの入場実験がスタートしている。ただ、同球場を運営する阪神電気鉄道によれば、あくまで顔認証の精度や有効性を確認するのが目的の実証実験で、実際の導入検討も含め具体的な動きはまだ先だという。むしろ、このコロナ禍においていかに来場客の“人”との接触機会を減らして、安全性と利便性を両立させるかに注力していると述べている。

実際、同球場では2020年度のシーズンからQRチケットの導入を始めており、年間席購入客に対してもいったんすべての予約をキャンセルして、QRチケットの優先販売を行なうことで対応している。これにより、いわゆる入場ゲートの“もぎり”作業がなくなり、人と接触なしでも入場管理が可能になったと説明する。

ただし、これが有効だったのは無観客や人数制限が実施されていた時期のみで、後に入場上限人数を1万人から2万人に緩和した際、QRチケットが販売可能な自社販売サイト「甲チケ」だけでなく、他のプレイガイドにまで販売窓口を広げたため、従来方式のチケットで入場する来場者が来るようになり、“もぎり”が復活したという。

そのため、2021年度においてはそれまでローカルPCで入場管理を行なっていたデータをすべてオンライン化してリアルタイムでの入退場管理が行なえる仕組みに変更しつつ、甲チケ以外のプレイガイドとも連携して全入場者にQRコードなどのコード付きチケット発行が可能になった。

対応に時間がかかったのは、プレイガイド側が発行するコードをリアルタイムで認証して消し込みを行なうため、サーバー同士の連携のためにプレイガイド側のシステム改修が必要だったためだと阪神電鉄では説明している。QRチケット変更によるクレームは特に利用客からは上がってきておらず、今後は満員時の処理に対応できるかを含め、いろいろ検証を重ねていくようだ。

QRチケットによる非接触入場の様子(提供:阪神電気鉄道、甲子園)
QRチケットを読み込むリーダー(提供:阪神電気鉄道、甲子園)

非接触化の取り組みは福岡のPayPayドームも進んでいる。同球場では通常のQRチケットに加え、2019年シーズンからモバイルでのチケット購入が可能なサービスも提供している。PayPayでのチケット購入が可能なほか、スタジアム入場後も飲食などPayPayでの決済が可能だ。

一方で、引き続き現金の取り扱いも行なっており、完全にキャッシュレスでない点にも特徴がある。だが、ファンなどリピーター利用が多いことからもPayPayやモバイルチケットといったキャッシュレスかつ非接触な手段の利用比率は高いようで、こうしたデジタル的な手段普及のための一助になっているようだ。

同様の取り組みは前述甲子園球場も進めており、2020年度からは場内販売とビールの売り子にPayPayとd払いのQRコード支払い手段を導入し、キャッシュレスを積極的に取り入れているという。また現金取り扱い時の非接触徹底のため、ポーチやトレイの使用を徹底しているともいう。

福岡のPayPayドーム

このように、昨年から今年にかけて大規模なスポーツ興行における、コロナ禍での顔認証導入の話題が盛り上がりつつある状況だが、現時点ではまだ限定的なもので、どちらかといえば「非接触」や「安全性」の面での対策の比重が大きく、入場キャパシティがある程度回復した際に、どこまでこの状態をキープできるかに注力しているようだ。デジタル化の進展は利用者の選択肢の幅を増やし、利便性向上にも寄与する。おそらく、コロナ禍においてイベント興行のデジタル化がさらに進展する効果があったと考える。

同時に、顔認証導入についてはまだ慎重に進めているという意見が多く散見される。CLEARを導入したメジャーリーグにおいても、顔認証導入に際してはプライバシー上の懸念から慎重論もあり、前述のように選手とスタッフでの限られた利用に留まっている。東京ドームの件についても、入場ゲートそのものは選手やスタッフ限定で、顔認証決済も一般開放をうたいつつも、対象は当初ファンクラブ会員限定を検討しているなど、限られた運用となる。処理できるスピードや判定制度と合わせ、さらに「本人の同意を得ての顔画像記録」「顔情報をいかに管理するか」という話もあり、浸透にはもう少し時間がかかると予想する。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)