西田宗千佳のイマトミライ

第250回

「映像」から見るApple Vision Proの本気度

Apple Vision Pro

6月28日、アップルは「Apple Vision Pro」を日本で発売した。筆者は2月にアメリカ(ハワイ)に行き、Vision Proを購入、ほぼ半年ほど先行して使い続けている。

高価な製品ではあるし、課題もあるので誰にでもお勧めできるものではないが、体験してみた人とそうでない人では、なかなかその印象を伝えづらい機器ではある。

では、発売に際して何を語るべきか?

筆者が語っておきたいのは、「アップルがいかに本気か」という話だ。本気を出せば成功するか、というものでもない。だが、本気である方が成功に近いのも事実だろう。

かけているコストや人員という点で、Metaとアップルの本気度は頭抜けている。そして、両社の本気度はまたベクトルが異なる。

アップルの本気度を示すものとして、筆者は「映像」について語ってみたい。

シネスコや3D配信も。映画に本気を出すApple

Vision Proの美点は、目に見える映像のクオリティが非常に高いことだ。

信じられないかもしれないが、Vision Proをつけて映画やドラマを見た時のクオリティは、高品質なテレビやホームシアターの体験に匹敵する。

XR機器を使って映像を見ること自体は珍しいものではないが、多くはまだテレビやホームシアターの品質を超えるものではない。しかし、すでにアメリカ版を使っている筆者の意見としては、「画質とそこから得られる体験は現状トップクラスのもの」と断言できる。

アップルはこれを活かすために「映像系サービス」を充実させている。詳しくはAV Watchの記事でもまとめている。

言葉で書くと「なるほど」という感じだが、これをちゃんとやっているプラットフォーマーはほとんどない。なぜなら、とにかく手間がかかるからだ。

アップルは「Apple TV」アプリからアクセスできるストアで、多数の権利者からの映像作品を配信している。それを見られるのは当然だが、Vision Pro向けにはさらに工夫を凝らしている。

テレビの縦横比は16:9だ。だが映画は作品によって縦横比が違う。多いのはいわゆる「シネスコ」、21:9のものだ。テレビで見る場合には、16:9の画面の上下に黒枠をつけて再生されることが多い。

だが空間に画面を配置するVision Proなら黒枠はいらない。シネスコの映画を「シネスコのまま」見られる。

配信作品はスクリーンショットが撮れないため、画像は合成によるイメージ。だがシネスコの画角に特化しているのはお分かりいただけるだろうか

これはけっこう面倒なことでもある。

なぜなら、映画会社から映像配信事業者に納品される映画データはほとんどがテレビ向けのもの(16:9)であり、特別な縦横比にはなっていないからだ。映画会社に対して納品データの変更を依頼し、用途に合わせて使い分ける仕組みが必要になってくる。アップルはVision Proに向けてそういう仕組みを整えているわけだ。

同様のことを、日本ではU-NEXTが始めた。これもすごいことだが、彼らの場合、配信先からの調達コンテンツの関係から、「内容はシネスコなのだが、上下に黒帯」のまま配信される作品もある。短時間にすべてを、というのはなかなか難しいものだ。

同様に、アップルは3Dの映画も配信している。

映画館のために3Dのデータはあるので、配信すること自体はそこまで難しくない。しかし、メジャーな映画会社の作品を公式に、通常のサービスの形で3D配信している例は他にない。

Apple TVから3D映画も視聴できる

HMDでは左右の目に別々の映像を流すため、3D映画を高いクオリティで表示できる。だが、他は3D映画の本格的な配信をやってこなかった。映像配信事業を持っていないMetaはもちろんだが、映画事業をもつソニーもやってこなかったことだ。

現状のVision Proの売上だけで、こうした手間をかけることの元を取れるかどうかは怪しい。

しかも、3D映画には追加コスト不要だ。すでに買ってある映画の場合は無料で3D版が追加される。これは4K映画の配信が始まった時と同じやり方で、単純な採算に基づくものというより、映画ファン目線のやり方に見える。

だがアップルは、Vision Proのような製品を売るためにこうした事業が必要であることをわかっている。従来からの映画会社との関係を活かし、面倒な細かい交渉やシステム構築を進め、準備を整えてきたのである。

しかも、アメリカだけでなく日本でも。ということは、世界中で同じ対応をしていることになる。

Apple Immersive Videoが面白い

またアップルは、既存のコンテンツだけでなく新しい映像の準備も行なっている。Apple Immersive Videoと呼ばれるコンテンツを配信しているのだ。

これは前方180度分の視界に合わせ、左右の目に最適化した映像を用意することで、立体的かつ没入感のある映像を実現するものだ。従来「VR180」と呼ばれていた規格に近いが、商業コンテンツとしてのクオリティを担保したものになる。

Apple TV経由ではVision Proに合わせ、「ADVENTURE」や「WILDLIFE」といったいくつかのシリーズものを用意しているし、配信権利を持つMLS(メジャーリーグ・サッカー)の映像も撮影し、まとめている。

Apple Immersive Videoの1つ「ADVENTURE」シリーズ
MLSの昨年シーズンをまとめたビデオも公開されているが、新しいスポーツ配信の可能性を感じる

アップルは2020年に、スポーツ映像を撮影してVR機器に配信する企業であった「NextVR」を買収している。その後チームがなにをしているか、公式なコメントはない。だが、Apple Immersive Videoのクオリティの高さを見れば、もともと知見のあったチームをもとに新たにコンテンツを作るようになったのでは……と予想できる。

NextVRの買収額は1億ドルと予想されているが、正確なところはわからない。しかし、アップルがここでも「相当の価値を感じて予算を突っ込んだ」ことだけは間違いがなさそうだ。

「空間ビデオ」も価値拡大。競争が市場を拡大していく

Vision Proを使った多くの人は、「空間ビデオ」「空間フォト」にも大きな価値を感じる、と話す。思い出を高いクオリティで見たい、リアルに見たいと思うのは当然の話だから、価値があるのは間違いない。

次期OSである「visionOS 2」では平面(つまり通常)の写真を空間フォト化する機能も搭載され、思い出をよりリアルな形で見る、ということが大きな差別化要因としてフィーチャーされる。

現状、アップル製品で空間ビデオ・空間フォトが撮れるのは、Vision Proを除くとiPhone 15 Proシリーズだけだ。ソフトに加え、カメラの並びが空間ビデオ向けになっているからでもある。

今後はもしかすると、スタンダードなiPhone(今で言えばiPhone 15シリーズに相当するもの)も、カメラの配置が変更になり、空間ビデオ対応になるかもしれない。

iPhone 15 Pro Maxのカメラ部。並んだ広角と標準カメラを使って空間ビデオを撮影する
iPhone 15のカメラ。斜めに並んでいるので空間ビデオは撮影できない。だが今年のモデルはどうなるだろう……?

普段見る時は特に変化はないが、撮影さえしておけば、視聴可能な環境では空間ビデオとして楽しめるわけで、対応はプラスだ。

空間ビデオに類するものは以前からあった。だが、見る環境が少なかったこと、十分な解像度がなかったことなどから、一部のマニアを除くと注目度は薄かったように思える。

だが、アップルが「空間ビデオ」という名前をつけてアピールし始めた結果、注目されやすくなったのは間違いないだろう。

サングラス型ディスプレイで知られるXREALも、スマホ型デバイス「XREAL Beam Pro」では「空間ビデオが撮影できること」をアピールした。

XREAL Beam Pro。2つのカメラが目の間隔に近い形で搭載されていて、空間ビデオ撮影ができるのが特徴

よくも悪くも、大企業のアピール力は大きく、その結果として認知が高まるのは間違いない。

Vision Proという製品はいかにも第一世代であり、重量を中心とした欠点もある。価格も高い。本当にマスに売れるのは、次の世代以降だろうと思う。

一方で、Vision Proが出たことで市場が刺激され、方向性が変わってくることもあるだろう。MetaはMeta Quest 3のOSアップデートを続けており、機能や画質は格段にアップしている。Meta Quest 3のために作られたものがVision Proに使われるように、逆にVision Pro生まれのものがMeta Quest 3に使われることもあるだろう。

コストをかけて市場を作ろうとする企業が「1つ」だけでは盛り上がらない。だが複数あると、競争で変化が生まれる。

アップルが映像系に力を入れるのも他社との差別化であるだろうし、Metaはコストやゲームなどで差別化を進めるだろう。

その結果が共倒れになることもあるだろうが、一定の市場が次第に作られていく……と考えた方が面白いと思うのだが。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、AERA、週刊東洋経済、週刊現代、GetNavi、モノマガジンなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。 近著に、「生成AIの核心」 (NHK出版新書)、「メタバース×ビジネス革命」( SBクリエイティブ)、「デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか」(講談社)などがある。
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