西田宗千佳のイマトミライ

第224回

E3終了に見る「エキスポ」から「フェス」の時代

ESAはE3の終了を公式に発表

12月3日、アメリカのコンピュータゲーム業界団体Entertainment Software Association(ESA)は、同団体が主催するゲームイベント「Electronic Entertainment Expo(E3)」の開催を断念し、終了することを発表した。

E3は1995年にスタートして以来、「世界最大のゲームイベント」と呼ばれ、長く大きな影響力を持ってきた。

しかし2020年、コロナ禍で中止となり、2021年にはオンラインイベントとして開催されたものの、その後再開されることなく、2023年も開催が中止されていた。

筆者も取材のため、2002年以降毎年訪れていたイベントだけに、感慨深いものがある。

2017年のE3会場。巨大なロサンゼルス・コンベンションセンター全体を使っていた

しかし、E3が役割を終えつつあることは、すでに5年以上前から明白だった。それ以前にも見直しの機運はあったのだ。

今回は、E3の終了がなにを示していたのか、改めて考えてみたい。

E3の終了は「イベントと消費者の形」を考えれば必然のことである。言い直せばそれは「エキスポからフェス・アワードへ」という時代の変化そのものでもあるように思える。それはゲーム業界だけのことではなく、あらゆる消費者向けイベントに共通する変化である。

ゲーム業界成長と共に「ハレの場」として拡大したE3

E3は1995年にスタートした。ゲームのイベント自体は他にもあったが、当時は初代PlayStationやセガサターンが生まれ、ゲーム機という産業が大きく変革を迎える時期でもあった。

ゲームは主に玩具の流通でビジネスが行なわれていたが、市場への参入者が増え、ビジネス構造も変わる時代となってきたので、商流も変化を迎えていた。

1995年当時、ゲームはディスクやROMカートリッジによる物理流通の時代。ビジネスの中心も、年末のいわゆるホリデーシーズンに集中していた。

その年のホリデーシーズンに向けてどんなゲームが出るかをアピールし、受注につなげるための大規模な商談会としてのイベントが求められていた。当時のゲームイベントとは、あくまで「商談の場」であり、まさに「見本市」だったのだ。新聞などで「ゲーム見本市」といった表記が残っていることもあるが、それはその当時の表記が慣習的に残っている、というところがある。

ただ、ゲーム市場が大型化していくと、その情報を消費者にどう伝えるかが重要になってくる。ゲームが一堂に揃う「見本市」は、ゲームに注目を集めるには良い場所だ。ソフトだけでなくハードウェアについても、結局はホリデーシーズンがターゲット。だとすれば、大きな見本市を大々的にイベント化し、プロモーションにも活用する形へと変えていくことが最も効率的なやり方だった。

E3はその流れに乗り、商談会から「ゲームの巨大イベント」へと姿を変えていく。ゲームメーカーやプラットフォーマーが一堂に会し、発表イベントとその体験会をまとめて開くわけだ。

ゲームメディアは集中的に取材することで効率的に情報を拡散できたし、普段ゲームを扱わない新聞や週刊誌なども、派手なイベントを軸にゲームを扱ってくれる。

ゲームというメディアが大きくなっていく中で必要とされていた「祭り」の要素を、アメリカ市場においてはE3が担うことになったのだ。

2017年のE3会場の様子。非常に混み合っており、まさに「祭り」

日本の場合、似たような位置付けのイベントとして「東京ゲームショウ」がある。こちらも1996年から開催されているので、歴史はE3同様長い。

ただ東京ゲームショウは、主催団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)が、設立時には任天堂から距離を置くメーカーが集まる形のイベントとして開催したこともあって、任天堂以外が集まるイベントとして展開していた(その後は基調講演に任天堂が参加するなど、関係は改善している)。

だがE3は最初から多くのゲームメーカーとプラットフォーマーが参加したこともあり、「大手がみな揃っている」「世界最大の市場・アメリカのイベントである」ことなどから、「世界最大のゲームイベント」と呼ばれるような規模になっていった……という経緯がある。

ゲーム業界が大きくなっていく中で、特に2005年頃まで、E3はきわめて大きな役割を果たしていた。

E3に出展して注目を集めることは、ゲーム業界にとってまたとない「ハレの場」になったのだ。夜にはゲーム関係者がパーティーなどを開催、横のつながりも深まった。

日本のゲームメーカーから見れば、E3に出展し世界的な注目を集めることは、モチベーションの上でもプラスであったのは間違いない。

コストに苦しんだ「巨大なE3」

ただ、イベントが巨大化するということはいいことばかりではない。

イベントの巨大化はコストの増大も生み出す。

2007年、E3は一度規模を縮小し、巨大なロサンゼルス・コンベンションセンターからサンタモニカのホテル群でのブリーフィング・イベントへと変更されている。あまりにコストがかかるので、各社が縮小を求めたのである。

2007年、E3取材時に会場となった、サンタモニカのホテル群を望むビーチ。風光明媚だが、大量の人は集めないイベントだった

だが、当時は規模を縮小した分、注目が薄くなってしまった。

たしかに業界はまだ「祭り」を必要としていた。ニュースが集中せず、注目が集まらないことは、ゲーム業界にとってマイナスだったのだ。

E3は翌年からロサンゼルス・コンベンションセンターに戻り、数年かけてまた巨大なイベントへと規模を変化させていった。

ただし、2010年頃までは他の方法でカバーできていたが、それ以降はそれも難しくなった。

巨大化する一方で、E3への注目度が拡大したか、というとそうでもない。2010年以降となるとゲームという産業も成熟し、新作や新ハードを出せば注目してもらえる時期が過ぎてきた……という点は否めない。

東京ゲームショウには「一般公開日」があるので日本の人には意外かもしれないが、E3は2016年まで「業界関係者以外入れない」イベントだった。

そこに2017年から、一般のゲームファンにもチケットを販売、E3への来場を促す形に変わっている。各社はファンサービスにつとめ、結果として、2017年には来場者が過去最高に伸びる。

2017年E3の任天堂ブースで。ファンサービスとして写真撮影に応じているのは、先日マリオ役からの引退を表明したチャールズ・マーティネー氏

だが、これがE3終焉の引き金を引いた、と筆者は思っている。

これまでE3に憧れていたアメリカの熱心なファンはE3に、高いチケット代を払って参加した。しかし、その後の来場者は減っているし、参加企業も減っていく。

来場者が増えたところで満足度を上げることもできず、プロモーション効果も高くならないなら、そんな行為に意味はないのだ。

結果として、2020年にコロナ禍で休止が決まると、業界全体が「もういいだろう」という空気になった。

祭りとしてE3に頼る必要はなく、むしろ「E3のようなイベント」のあり方が、今のニーズには合わないことがはっきりしてきたのである。

並ばせる巨大イベントは時代に合わない

ではE3はなぜ時代に合わなくなったのか?

それは「できたものを並んでプレイさせる巨大イベント」が無意味だと分かったからだ。

2017年、ゲームファンにE3の入場チケットを売ったが、その評判は良くなかった。なぜなら、ホテル代も含めて1,000ドル近くを払っているのに、行列がひどくて1日に遊べるタイトル数が少なかったからだ。ゲームに浸るイベントにきたのに、単に「行列に並ぶ」イベントになってしまった。

業界関係者も、並ぶことには辟易していた。

任天堂などの人気タイトルを試遊するには、朝一番でダッシュして並んでも、プレイまでに数時間待つ必要があった。遊びたくはあるが、色々なブースを視察し、関係者と情報交換したいと思うなら、人気タイトルに並ぶ時間は作れない。事前にアポイントをとってプレイさせてもらえればいいが、各メーカーとそういう関係を持てる人も限られてくる。

過去のように、リードタイムの長い物理流通がメインであった時代には、商談会は大きな役割を担っていた。だが、昨今は物理メディアでもリードタイムが短縮され「年末作品の受注は6月に」という話ではなくなっている。

そしてオンライン流通が主流となった今は、コンシューマが直接プラットフォーマーからゲームを買うので、そもそも商談会には意味がない。

現在も、大手メーカーが作る大規模な「AAA」と呼ばれるゲームタイトルは人気であり、それなしにゲーム業界は成り立たない。

だが同時に、規模が小さく大きなプロモーションが難しい「インディーゲーム」も多数ある。それらがビジネスとして成立していないかというと全くそんなことはないし、熱心なゲームファンほど、たくさんのインディーゲームを遊んでいる。昨今は実況動画やSNSでのバズを背景に、インディーゲームが急にヒットしたりする例も少なくない。

また、オンラインゲームに代表される「運営型ゲーム」は、ヒット作であれば何年も同じ作品がプレイされている。それらを新作のAAAと同じようにプロモーションするのは難しい。

だが、インディーゲームも長年人気のある運営型ゲームも、ゲームファンにとっては等しく「楽しみたいゲーム」なのだ。

ゲームは、流通もゲーム自体の形も変わっている。

しかしE3という「ゲームのエキスポ」は、お金がかかったものを並んでいる大人数に見せる、という形での提供に偏ってしまっていた。

だから、ゲーム業界のためのイベントではあってもゲームファンのためのイベントとは言いづらくなっていて、それは結果として、ゲーム業界自体にとってもプラスとは言い難いものになり、結果として復活には至れなかったのだ。

「ユーザーに直接」で先行した任天堂

大手が集まってイベントをすることが、本当にゲームファンに向けたものなのか……という疑問については、E3が元気だった時代から幾度も問いかけられてきたものではある。

筆者は、その初期の大きな動きとして、2012年のE3で、任天堂が開いたプレスカンファレンスの内容を思い出す。

Wii Uで「テレビからの独立」。任天堂 E3会見(2012年6月掲載)

これはWii Uが発売される前のイベントであり、任天堂がE3で開催した最後のプレスイベントでもある。

このイベントでは様々な発表があったものの、実は、オンラインでの配信を見ていた人々向けの情報の方が多かった。ゲームタイトルなどの情報には壇上で発表されなかったものが多く、オンライン配信で見ているゲームファンに向けて、より情報が多く発信された。

このあと、同社はプレスイベントよりも、オンラインでの情報発信である「Nintendo Direct」を主軸にしていくことになり、E3でのプレスカンファレンスもなくなった。

このことに、筆者は当時大きな衝撃を受けた。

確かにこの形が正しいのだ。ゲームメーカーとして向き合うのは「メディアや業界関係者」ではなく、あくまでユーザーだ。それをこの段階で貫いたことに、筆者は感銘を受けた。

この方針を決めたのは、当時の岩田聡社長だったと言われるが、さすがの知見である。

任天堂に倣ったわけではないだろうが、各社はこの後、オンラインも含む独自のイベントへと舵を切っていく。E3という話題の中心は必要だが、別にE3に相乗りし、コストの悪い形でアピールをする必要はない……という判断が中心になっていくのである。

皆がそれぞれ楽しむ「フェスティバル」の時代へ

現在、世界的に成功しているゲームイベントとしては、アメリカで開催されている「PAX」、ドイツの「Gamescom」、そして東京ゲームショウがある。

共通項として言えるのは「ファンのためのイベントを意識している」こと、「多彩なゲームの展示やアピールに注力していること」が挙げられる。

東京ゲームショウは歴史の長いイベントだが、初期から「一般公開日」をちゃんと作っていた。一般公開日の行列は長く、大変なものだと思う。以前はE3と同様、ゲーム試遊までの時間が長くて満足度も低かったと認識している。

だが、コスプレを含めたファン同士の交流や、並ばずに見られるステージイベント、物販コーナーの拡充などで、「ゲームファンが遊びに来る場」「ファンサービス」としての意味合いをちゃんと持たせている。一般公開日とビジネスデーでは、イベントとしての性質がぜんぜん違うくらいだ。

また、インディーゲームなどのアピールも、E3のそれよりもずっと丁寧で充実している印象を持っている。

いわば、こうしたイベントは「エキスポ」ではなく「フェスティバル」になっているのだろう。同じ趣向の人々が集うことは、やはり楽しいものだし、オンラインの時代になっても、いや、オンラインの時代だからこそ、リアルイベントとしての価値が出てくる。

要は「業界のためのイベント」は役割を終え、いかに消費者のためのイベントを作るかが重要、という時代になっているのだ。

冒頭で筆者は「エキスポからフェスへ」と表現した。

これはゲーム業界に限った話ではないと思う。お金をかけたものに人々を並ばせるのではなく、来場者がそれぞれの観点で楽しみを見出し、その「場」自体を楽しいものとして感じることの方が、今の時代には合っている。

万博に冷ややかな目が向けられるのも、そんなところがあるからではないか。

業界目線なら「アワード」の時代か

もう一つ、ゲームの祭典として近年大きく注目を集めているのが「The Game Award」だ。今年も12月7日にオンライン配信され、筆者もその様子を見ていた。

今年のThe Game Award配信のアーカイブ

The Game Awardは、その名の通り、注目を集めたゲームを表彰するアワードであり、受賞作は「その年を代表するタイトル」といってもいい。

アドバイザーボードにはゲームや関連ハードウェア各社がずらりと顔を揃え、配信自体も非常にゴージャスで、お金がかかったものになっている。明確に「ゲームにおけるアカデミー賞」のような存在になりたいのだろう。

The Game Awardがゲーム業界を代表する賞になるべきか、その辺の是非は置いておく。だが、アワードを軸にした「業界のお祭り」が楽しいものであり、そこで表彰されることが晴れがましいことであるのは間違いないだろう。

過去にE3にゲーム業界関係者が集まるのは、ある種晴れがましいことだった。「業界側からの目線」のイベントを今の時代に仕掛けて代替するには、「アワード」という形をとるのがベストなのかもしれない。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、AERA、週刊東洋経済、週刊現代、GetNavi、モノマガジンなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。 近著に、「生成AIの核心」 (NHK出版新書)、「メタバース×ビジネス革命」( SBクリエイティブ)、「デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか」(講談社)などがある。
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