西田宗千佳のイマトミライ

第203回

バッテリーのユーザー交換義務化? 「修理する権利」と現実の課題

アメリカ・ヨーロッパで「修理する権利」についての議論が巻き起こっている。

「修理する権利」とは、製品を修理して使い続けることを容易にするよう、メーカー側に対処を求める権利のこと。

アメリカ・ニューヨーク州では、この7月1日から「修理する権利」に関する州法「Fair Repair Act」(公正修理法)がスタートする。アメリカとしては初めて可決し、法として発行された州となった。

パーツ供給などを円滑にし、メーカー自身に頼ることなく、修理事業者などに依頼することで、製品を修理しつつ、より長く使えるようにすることを目的としたものであり、アメリカの多くの州やヨーロッパに広がる可能性もある。

また同時期に、欧州議会があらゆる種類の電池について、「消費者自体が簡単に取り外し、または交換できる」ように設計することが義務付けられる、としている。このことから、「スマホのバッテリーを交換式にしないと、EUでは販売できなくなるのでは」との懸念もある。

では、こうした動きは現実的なものなのか?

ありうるべき姿はどんな形になるのかを、あらためて考えてみよう。「修理する権利」は重要な要素だが、話はそんなに単純な話でもないのだ。

薄型化・モジュール化で「修理しにくい」製品が拡大

「修理する権利」の話が出てくるのは、特に2000年代後半以降、PCやスマートフォン、家電などの構造が変わってきたことに理由がある。

15年ほど前から、多くの電子機器は分解が困難になってきた。理由は、生産の効率化と薄型化にある。

過去、家電機器・電子機器では、今よりもネジが多く使われていた。だが現在は、接着剤や両面テープが多用されている。そのほうが短時間で組み立てられる上に、本体を薄くできるからだ。ガラスカバーを高い強度で取り付けるには接着剤を使った方が良い、という事情もある。ケーブルは平らで薄いフレキシブルケーブルになり、つけるのは簡単でも、取り外しは難しくなっている。

基板もパーツもどんどん小型化し、組み立ては機械化している。昔のように、個人がパーツを取り外して交換するのはかなり難しい。

メーカー目線で言えば、とにかく生産効率の最適化を進め、少数の故障・不良については交換を前提にシステムを組み立てた上で、部品交換は基板などのモジュール単位で行なう……というやり方の方が効率は良くなっている。

結果的に「修理はメーカーが行なうもの」であり、他のルートでは難しい……という事情が生まれた。

一方で、こうした構造は「修理する権利」の観点で言えばマイナスにもなる。汎用のパーツはほとんどなく、メーカーから交換用のモジュールが供給されない限り修理が難しいからだ。中古などで回収されたスマホからパーツを回収し、それを使って修理をすることも可能ではあるが、どうしてもパーツの供給量は少なくなる。

日本に存在する「技適」という壁

結果として、修理が高価だと買い替えた方が良い、という話になる。メーカーにとってはプラスかもしれないが、消費者にとっては出費の増大になる。なにより、修理費用を捻出できず「故障したまま」スマホを使うことにもなる。ガラスが割れたままスマホを使っている人も少なくないが、それは負担の大きさ故でもあるだろう。

製品を作る上で接着剤を使うこと、モジュール化してそれ以下の単位で交換するのが難しい、といった事情は、今の製品を作る上で重要なことでもある。

ただ、設計をする上で部品交換をもう少し容易にするように配慮することもできるだろうし、一定のルールのもとにパーツを供給し、メーカー以外での修理を推進することもできるだろう。

特に、スマホの中でも故障しやすいのは、ガラスやバッテリーだ。これらを交換しやすく、修理コストを下げることは、多くの人にとってプラスではある。

「修理する権利」に対応するため、アップルやサムスンは、アメリカなどで公式の「パーツストア」を開き、修理事業者や個人に修理用パーツの販売を行なっている。個人にとって修理が簡単になったわけではないし、個人での修理が推奨されているわけでもないが、修理を楽にする門戸は開かれているわけだ。

アップルはアメリカで、個人や修理事業者むけに「Self Service Repair Store」を開いている

ただし、これはアメリカでのことだ。

日本の場合、スマートフォンのような通信機器は「技術基準適合証明(技適)」制度のもとに使うことになっていて、適切な資格を持たない人間が分解などをした後に通信すると、電波法違反に問われる可能性がある。

だから、日本では同じような「パーツ供給」は予定されていない。認定された修理事業者へのパーツ供給は行なわれているが、海外ほど修理拠点が多いわけではない。

アメリカではスマホを修理しても技適のような制度に反することはないので、街中に大量の修理事業者がいる。その結果、修理がカジュアルであり、価格なども安い傾向にあるのは事実だ。「修理する権利」は、こうした事情を背景にしている部分がある。

日本ではその前の段階にある、とも言えるだろう。

不正なパーツや「OSの寿命」という課題も

ただ、パーツ交換には色々問題もある。

もっとも大きな課題は「不正なパーツ」「質の悪いパーツ」が使われる可能性だ。

スマホではセキュリティを守るため、不正なパーツが紛れ込まないことも重要だ。

またバッテリーについては、他社の同等品が紛れ込むと、発熱や膨張などの事故につながる可能性もある。

「修理する権利」とともに純正パーツの供給が検討されているのは、そうした課題への対策という側面がある。

また、どれだけ長くパーツを供給できるのか、という課題もある。短期間で終わることは考えづらいが、製品販売終了後に何年も在庫しておけるか、というとこれは難しい。パーツ自体が入れ替わっていき、生産されていない状況になってしまうからだ。

今のスマホやPCは「進化と大量生産」の合わせ技で進んでいる。結果として、一部のパーツは供給される期間が短い。「修理する権利」への対応もあって在庫は過去より長く持つようになっていくだろうが、在庫できる期間には制約がある。

またそもそも、「商品寿命」はハードだけで決まるわけではない。ソフト、特にOSのセキュリティアップデートが終わってしまえば、製品を使い続けるのは難しい。

スマホなら5年、PCでも5年から7年がせいぜいであり、10年・20年と使い続けるのはそもそも難しい。

「OSのアップデートもできるだけ長く」と言いたいところだが、ソフトの進化とニーズの変化、そして攻撃手段の拡大や変化を考えると、いつまでも同じOSで……というわけにはいかないだろう。

「修理する権利」は理想ではあるが、現実問題として、OSのライフサイクルの間でしか成立しない、と考えるべきである。

バッテリー交換が「無理筋」である理由

特にバッテリーについては、色々と課題が多い。EUで出ている「バッテリー交換式」については、かなり無理筋と考えるべきだ。

10年以上前、フィーチャーフォン時代には「バッテリー交換式」が多かった。当時はバッテリーの容量も小さく、金属製の缶に入ったパッケージも使われていた。結果として、落下や衝撃に対する耐性は、今のバッテリーよりずっと強かったのだ。

しかし現在は、フィルムによるパウチパッケージで、容量も非常に多い。同じ容量のバッテリーを外付けにしようとすると、頑丈なケースに入れて守る必要が出てくる。そうすると、今のように薄くて軽いスマホを作るのは難しくなる、と考えられる。

またバッテリーを交換可能にすると、そこで「社外品バッテリー」が使われる可能性を排除できない。フィーチャーフォンの時代にも、社外品バッテリーでの事故は多数発生している。大容量化した今のバッテリーで事故が起きる可能性を増やすのは、可能な限り避けねばならない。

交換可能にするリスクを負ってまで、スマホを大きくする必要はあるだろうか? スマホメーカーが、これらのリスクをEUでのみ許容するとは考えにくく、修理がしやすいような構造にするのがせいぜいではないだろうか。

こうした部分を含めても、「修理する権利」「バッテリー交換の簡便化」には課題がある。そうあるべき話ではあるが、技術的な課題は多く、単純にできないことも多い。

だからこそ、修理の簡便化・迅速化やリサイクルの推進を、メーカーとともに進める必要がある。消費者とメーカーが敵対するのは意味がないし、政治の道具になってもいけない。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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