小寺信良のくらしDX

第21回

Apple Intelligenceやコパイロットは我々をどう助けてくれるのか

プロンプトや参考資料から画像や音声を作り出してくれるAIを総称して、「生成系AI」と呼ばれているのはご承知のとおりだ。一方でビジネスやライフスタイルをサポートしてくれるAIに関しては、「AIアシスタント」と言ったり、「ビジネスAI」と呼んだり、まだこれといった定番の呼び方はないようだ。これは取りも直さず、こうしたAIがメディアに頻繁に言及されるほど、社会問題化していないということであろう。

汎用AIとも言えるChatGPTでも、プロンプトによって指示したり、アプリを作れる「GPTs」を使ったりすれば、ビジネスに関する特定の処理をさせることはできる。ただそれには一定の知識や労力が必要であり、誰でも数クリックで、というわけではない。

この点でうまくやっているのは、MicrosoftのCopilotだ。テキストチャットで汎用AIとして利用できるだけでなく、WordやExcelのような定番ビジネスアプリに組み込むことで、特定の目的に特化させている。

筆者は個人向けプランでしか試していないが、Wordではテーマを入力すればある程度の下書きをしてくれたり、長文の要約をしてくれたりする。Excelでは、データに基づいて図表を作ってくれる。これは慣れないとなかなか難しかったわけだが、自分で作り方を探して試行錯誤するという時間を短縮できる。PowerPointでは、内容をテキストで指示するだけで、スライドを作成してくれる。修正箇所も、直接手を動かす以外にも、テキストで指示することもできる。

【Copilot for Microsoft 365】もっと活用しよう - Word 編

Apple Intelligenceは日本語対応がまだだが、できることは既に公開されている。テキスト処理では文章の校正や要約、通知やメールでは優先順位判別、そのほか音声からの文字起こしやイラストからの画像変換などに対応するという。テキストで画像や動画を検索できる機能は、iPhoneで大量に撮影した写真がある人には朗報だろう。ビジネスにも役に立つだろうが、Microsoft Copilotよりも若干パーソナルな方向に振っているように見える。

Apple Intelligence

こうしたAIは、仕事や生活の生産性を上げてくれると期待されている。逆に言えば、これまで生産性を下げていた部分が明らかになったという事だ。例えばインターネット黎明期から存在するメールは、ほかのツールに変わられることもなく未だにビジネスのベーシックなコミュニケーション手段となっている。

だがそれだけに無駄な情報も多く、重要性や緊急性といった重み付けは、自分で判断する必要があった。判断するためには、重要でない物も目を通さなければならない。こうした作業をAIが代替してくれれば、生産性が上がるはず、というわけである。

変わるビジネスメールの形

個人的に興味深いのは、メールの作成や返信も書きたいことを下書きするだけで、書きぶりといったトーンや敬語なども含めて、本文制作をサポートしてくれる機能だ。Apple Intelligenceにもあるし、Outlookにもある機能である。

OutlookもCopilotを統合

敬語とは相手を敬う気持ちの表れと解されるわけだが、自分が敬意を持たなくてもAIが勝手に敬意を払ってくれるわけである。相手もそうしたメール本文を読まず、AIによるサマリーだけ読んで内容を把握し、返事も箇条書きで書けばちゃんとしたビジネス文書にしてくれる。

結局、人間が把握する情報はお互いにサマリーだけになり、ビジネスメールの本文はそれをラッピングするためのフォーマットになるわけだ。こうした状況を、悪いことであると捉える人もいるだろう。マナー講師にとっては格好のテーマだ。だが現実には多くの人が受け入れて、それなりに社会は回るのだと思う。

そもそも日本語で喋り言葉と書き言葉が一致したのは、明治時代に言文一致運動が起こってからの話である。それ以前、日本語は中国から漢字が伝来して初めて書き留めることができるようになったわけだが、そこから千数百年間にわたって書き言葉と喋り言葉を分けてきた。それでも特に問題はなかったわけである。もちろん、勉強しなければ読み書きができるようにならないという課題はあったわけだが、現代はそれをAIが変わってくれることになる。

記録としては、きちんとフォーマットに則った文章が残る。複数回に渡るやりとりも、知りたいのは結局どういう話になったのかということであり、AIにサマってもらえばいい。

こうした機能が威力を発揮するのは、謝罪の場面ではないだろうか。「謝罪の意志と規定の補償内容を低姿勢な口調で600字程度で」と入力すれば、こちらに謝罪の気持ちがゼロでもしつこいぐらいの謝罪文を何パターンも作ってくれたりするのかもしれないし、既にそうしたサービスが存在するのかもしれない。誰しもメンタルが削られる仕事はやりたくないだろうし、生産性も感じられないだろう。

それでは気持ちが入っていないではないか、と憤る人もいるだろうが、今でもおそらくこうしたビジネスベースの謝罪文は、テンプレートからの貼り付けである。今後は読む側も全文を読まなくなるので、そこにどう書かれているかは問題ではなくなる。より本質的な話だけがサマリーとして伝わるだけである。

人はAIの提案を飲めるか

ビジネスAIは、本質ではない能力が少し足りなかったばかりにチャンスを逃してきた人にとっては、大きな助けになるはずだ。例えばいいアイデアや提案を沢山持っていても、プレゼンのパワポがメタメタで読みづらかったばかりに、通る案件も通らなかったりしたことだろう。内容は人間が考え、見栄えはAIが考えてくれるという組み合わせは、理想的なAIの使い方と言える。

ただ最終的なプレゼンの責任は人間が取るわけなので、AIが提案したデザインのうち、どれを選ぶかでまたセンスが問われることになる。「良いデザインとは何か」を人間が学ぶというのは、最低限必要になる。自分で作れなくても、良いものを選べる目があればいいわけで、その点では「演出」という目線が必要になるという意味だ。そうしているうちに、AIが作るデザインもこなれてくるだろう。

クリエイティブ分野では、良いデザインを「作る」のは人間の領域であり、AIに「良い」を学ばせるのは悪手であるとされている。そこはAdobeのキーマンにインタビューした際にも、同じ答えを引き出せている。AIにやらせてはいけない領域というのが、それぞれの分野に存在するわけだ。

ビジネスの分野でAIにやらせてはいけないところ、それはビジネスのアイデアの部分だと思う。例えば「店舗の売上を20%向上させるアイデアを10個提案してください」とAIに問いかけて、得られたものをそのままプレゼンして通ってしまったら、誰がどう責任を取るのか。おそらくAIは誰に対しても、競合他社にでも公平に同じアイデアを出すだろう。

ブレインストーミングの相手としてなら、AIはアリだろう。だが仕事のノルマとして、来週までに改善案を10個出せという宿題みたいなタスクをこなすだけならAIでいいだろうという考えは危険だ。それは上司に怒られないという短期的目標は達成されるかもしれないが、誰もが同じような提案を出してくれば、仕事としての前進はない。前進の役に立たない社員は、当然評価は下がる。

ビジネス分野では、アイデアが通れば人とお金が動き出す。うまく行けば問題ないだろう、という話にはならない。それはAIによって人間社会の経済活動が主導されたことになるからで、それなら会社にお前いらんじゃん、ということだからだ。「AIのせいでクビになる」が起こりうる。

経済は人間の活動によって動くものであり、AIはそれを下支えするのは構わないが、経済を動かすのは人間であるべきだろう。そこは、クリエイティブがAIに「良い」を作らせるのは違うとする部分と、共通するものがある。

ビジネスにおいては、そのプロセスで人が時間をかけてやる意味がない部分の効率化は必要である。だが人がやるべきである部分も、AIはできてしまう。そこには倫理的問題や動議的問題があるわけで、「ビジネスAIはどう使えるか」の検討が終わったら、ビジネスのどこで使うべきかの「べき論」へ進む必要がある。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。