小寺信良のシティ・カントリー・シティ

第13回

実に使える「ハンコ」。地方行政と紙文書の関係

地方行政の現実

先週からネットを賑わせているニュースの一つが、「ハンコの押印ロボ」ではないだろうか。デンソーウェーブ、日立キャピタル、日立システムズの3社で共同開発したこのロボットは、先週開催された「2019国際ロボット展 iREX2019」で実機も展示され、注目を集めたようだ。

“ハンコ押印ロボット”が目指すオフィスの自動化

技術の無駄遣いではないか、そうまでしてハンコを押さなければならないのか、といった声は、当然聞こえてくる。ただ、ニュースでは押印が前面に押し出されているが、このロボットの実態は、ホッチキス留めされている書類の束を電子化するものであり、押印はその工程の一部に過ぎない。電子化すれば押印がいらないのではないか、と思われるかもしれないが、では紙の書類のほうに「電子化済み」という意味で押印をしなければならないとしたらどうだろうか。

筆者はこの4月より、実家の家業である不動産登記関連の仕事を手伝っているが、宮崎市役所にある道路査定記録や宮崎地方法務局にある登記情報など、古い記録を調べる業務が結構ある。これらは当然、「書類」の状態で原本が保管されており、それを閲覧という形で見せてもらい、自分で写真に撮って持ち帰る。

法務局のほうは、膨大な登記情報および図面の電子化を過去何年もかけて進めており、多くの情報は会社にいながらオンラインでPDFとして取り出すことが可能だ。ただ、明治時代に作製された古い測量図などは、スキャンまではされているが、オンラインで取り出せるまでには至っておらず、それを確認する際には申請書を書いて法務局まで足を運ぶ必要がある。

市役所にある道路査定記録は、分厚いドッチファイルに住所のあいうえお順、地番順といった具合で大量にまとめてある。これらのファイルも、最近はPDF化済みというハンコが押されているものが増えてきた。ただしPDF化されたものは、民間事業者が閲覧できるようにはなっておらず、あくまでも市の職員が、「紙の査定記録がどの棚のどのファイルにとじてあるか」を検索するだけのものに留まっている。

どんどん新しいデータが発生する業務であれば、これから紙書類を増やすメリットはない。だが過去膨大に積み上がった紙データで、いつだれが利用するかもわからない、もしかしたら50年後かもしれないデータは、今コストをかけて電子化して、将来も検索利用できるようにする意義が薄い。「今」じゃなくてもいいものは、将来の課題として積み置かれる。

実に使える「ハンコ」

不動産の登記に関わる手続きは、本来ならば所有権者本人が行なうものだ。だが手続きや用語が専門的過ぎて急に普通の人にやれといわれてもできないので、土地家屋調査士や行政書士、司法書士といった資格者が代理となって手続きを行なう事になる。

では資格者がそれら一般の方々から預かる書類や、本人から業務を委任された事を表す委任状には、何を以て本人の承諾ありという証拠にするのか。それはもう、印鑑以外には考えにくい。

現実問題、これから不動産を処分しようとする方々は、主に高齢者である。マイナンバーカードの普及も全人口の14%程度に留まる中、70〜90歳の皆様方に、今すぐ取得手続きしてくださいね、と頼むのは現実的か。加えて目に見えるわけではない証明書ファイルを高齢者に持たせても、自らがそれを使いこなしていくとは考えにくい。そうなれば誰かに頼むことになるだろうが、人が介在すればそれだけ「本人性」は下がる。

だが印鑑なら、本人が管理できるし、本人が押印できる。押印してもらうためには、紙の書類を作るしかない。一部の書類は紙で、残りはデータで、と分けることも考えられないではないが、そうなれば書類の管理とデータの管理で2倍に大変になるし、紙とデータを間違いなく紐付ける方法の管理も必要になる。併用してしまうと、手間が急に3倍になるわけだ。それではデータ化する意味がない。やるなら全部やるしかないのだ。

ハンコを使った書式の柔軟性としては、「捨印」がある。今となっては何のためにあるのかわからずに押している人も多いと思うが、捨印があれば、押印した後も訂正することが可能だ。本来訂正した箇所は二重線で消し、訂正印を押して正しい記述を書き込むわけだが、捨印は訂正印の代わりになる。いちいち訂正箇所のために本人宅まで行ってまた押印して貰うという手間が省けるわけだ。

あとから訂正できるならユルユルじゃねえか、と思われるかもしれないが、人間が作る書類なので錯誤もあり、一発で間違いなく作れる保証はない。実務上訂正ができないと、書類全部作り直しになって膨大なコスト増となる。電子証明にそのような柔軟性があればいいのだが、そのあたりの実務上の話はあまり聞こえてこない。

つまり地方にいて、一般の方を相手に行政の仕事をやっていると、紙とハンコのフローのほうが圧倒的に早い。こういうところまで電子化の波が訪れるには、このまま何のテコ入れもなければあと30〜40年ぐらいかかるだろう。つまり、今ITリテラシーのある30〜40代が老人になるまで変わらないと考えるのが妥当だ。

来年以降、国と地方公共団体がかなりの血税を投入して、マイナンバーの普及に取り組んでいくと思うが、証明書を電子化するなりの各種手続きフローを新たに構築しないことには、ハンコを電子証明に置き換えただけでは全然簡略化しないし、スピードアップもしない。むしろ余計な手間だけが増える事になる。

市民に直接関係する手続きの新しいフローの構築には、条例改正も必要になるだろう。日本全国の地方公共団体にとっては、かなりの大手術となる。地方で行政の仕事としていると、そうした危機感を身近に感じる。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。