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「デ・キリコ展」でヘンテコな形而上絵画にハマる 東京都美術館
2024年5月3日 08:30
東京の上野公園にある東京都美術館で、「デ・キリコ展」が4月27日~8月29日の会期でスタートした。
筆者が内覧会へ行って作品を見た時の印象を書くと、率直に「おもしろかった」。また、これだけ行く前に展覧会のチラシやWebサイトで見た時と、行って作品の本物を見た時に感じた印象とが、かけ離れていたのは初めてだ。実は筆者は、ピカソもだが、デ・キリコの作品のように不思議な絵画が苦手。そんな筆者が、おもしろいと感じた展覧会の雰囲気を記していく。
会場:東京都美術館 (東京都台東区上野公園8-36)
会期:2024年4月27日(土)〜8月29日(木)
観覧料:一般 2,200円/大学生・専門学校生 1,300円/65歳以上 1,500円
巡回:神戸市立博物館 2024年9月14日(土)~12月8日(日)
なお、展示室の撮影は禁止。以下の写真は主催者の許可を得て掲載している。
(C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
様々な画風で描かれた80点以上のデ・キリコ作品を展示
ジョルジョ・デ・キリコは、イタリア人の両親のもとで、1888年にギリシャで生まれた。日本では、徳川幕府が倒れてから21年が経った明治21年のこと。デ・キリコが生まれる3年前には、伊藤博文が初代の首相になり、翌22年には大日本帝国憲法が発布されるなど、西洋化をバタバタと推し進めていた頃だ。
ちなみに西洋の画家でいうと、デ・キリコが生まれたのは、印象派のクロード・モネが47歳前後の頃であり、アンリ・ルソーが42歳前後、フィンセント・ファン・ゴッホは36歳前後の晩年、フォービスムのアンリ・マティスは19歳前後で、後に交流することになるパブロ・ピカソは7歳前後、マリー・ローランサンは5歳前後にあたる。デ・キリコは、ヨーロッパの美術史において、様々なチャレンジがなされていた時代に生まれたのだ。
学芸員の髙城靖之さんは、デ・キリコを次のように解説する。
「デ・キリコという画家は、非常に複雑な画家です。彼は1910年代に形而上絵画というものを描き始めて、パリの画壇でデビューし、そこで前衛画家として、当時の一流の仲間入りを果たします。ところが1920年くらいから、今度は古典的なルネサンスやバロックの絵画に目を向け、そういったものに影響を受けた絵画を描いていきます。デ・キリコは、画風が大きく変わっていく、そういう画家なのです」
ただしデ・キリコは、1910年代に形而上絵画と呼んだ種類の絵を描き、1920年代に古典的な絵画ばかりを描くようになったわけではない。1920年以降も形而上絵画は描き続けていたし、古典的な画題と形而上絵画とを融合させた作品も見られる。
そこで今回の「デ・キリコ展」では、80点以上のデ・キリコの作品を、トピックや画題ごとに分類した展示構成となっている。なお展示室は「自画像・肖像」、「形而上絵画」、「1920年代の展開」、「伝統的な絵画への回帰」、「新形而上絵画」の全5章で構成されている。
デ・キリコ作品の代名詞「形而上絵画」とは?
「デ・キリコといえば、これでしょう!」とも言える「形而上(けいじじょう)絵画」が、集中的に集められたセクションは、描かれたテーマごとに「イタリア広場」と「形而上的室内」、それに「マヌカン」の3つに分類展示されている。「イタリア広場」と「形而上的室内」とは、それぞれ「広場」と「室内(部屋の中)」を描いた作品。そして「マヌカンってなんだろう?」と思ったら、その意味は「マネキン」のことだった。
それら聞き慣れない言葉に「美術って難しそうだよな……最初からマネキンって言ってよ」と思いつつ、それらの作品を真面目に見ようとすると、デ・キリコが何を描こうとしたのか、分からなさすぎて頭がクラクラッとするかもしれない。
そうであれば、「形而上絵画」という言葉を意識しながら、作品を見る必要はないように思う。「形而上絵画とはなんだろう?」などと考え始めると、そもそも「形而上」の意味とは? を知る必要が出てくる。そこで辞書を開くと「形をもっていないもの」または「(哲学で)時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの。超自然的、理念的なもの」などと記されている。
チンプンカンプンだ。
さらに「形而上絵画とはなに?」に関する解答はあるのかと言えば、同展のチラシには「簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法、脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画」と記している。これは「形而上絵画」の意味や定義というよりも、デ・キリコが「形而上絵画」と呼んだ絵画の特徴だ。
つまり、デ・キリコ本人もを含む誰も「形而上絵画」の本質を、文章や言葉で分かりやすく説明してはくれなかったのだろう。そのため作品を見ても、「あぁなるほどねぇ。だから“形而上”の絵画なのか」とは、筆者はならなかった。そもそも「形而上」などという言葉を、普段あまり使わない。そんな、身近ではない言葉を、パッと理解しようというのが、無理な話なのだ。そのため「形而上絵画」という言葉から離れて作品と対峙した方が、美術や哲学が苦手な人は、よほどデ・キリコの絵を楽しめると思う。
そうしてデ・キリコの作品を見ていくと、気がついたことがある。「ヘンテコな絵だ」ということ。画家本人が「これは形而上絵画だ」という絵は、他者である筆者が見ると、ヘンテコな絵のことだった。そう理解して……というよりも「形而上絵画」という言葉の理解を放棄して、筆者はデ・キリコの作品を見ていった。
さて、デ・キリコは「形而上絵画」を描き始める直前に、フィレンツェのサンタ・クローチェ広場の真ん中にあるベンチに座っていたのだという。その時に「あらゆるものを初めて見ているかのような不思議な感覚におちいった私の脳裏に、絵画の構図が浮かびあがってきた」と、自身が記している。
つまり、一般的には違和感を抱くような、支離滅裂な遠近感などで描かれた、非現実的な世界……ヘンテコな世界も、デ・キリコの言葉を信じれば、実際に彼の目の前に広がっていたということになる。
そして前述の引用には続きがある。「こうして生まれた作品を、私は『謎』と呼びたいと思う」。つまり形而上絵画とは謎の絵なのだ。
筆者ははじめ、デ・キリコは奇をてらった絵を描こうとして「形而上絵画」が生まれたのだろうと思っていた。だが、実際の絵を目の前にして思ったのは、「たしかにデ・キリコは、こうした情景を見た……もしくは感じたのだろう」ということだ。
世間一般の常識が、誰にとっても常識かつ正しいこととは限らない。同じように、多くの人にとっては、ヘンテコにしか見えない「形而上絵画」も、デ・キリコにとっては「目の前に広がっていた世界」だっただろうと、思えるようになった。「この歪んだ世界はなんだろう?」などと真面目に考え始めると、頭の中が、かゆくなってくるが、デ・キリコの基準に自分の基準を近づけていくように作品を見ると、不思議で謎ばかりの絵ではあるけれど、違和感は緩和されていく。
もちろん作品をどう見れば良いのかは、ひとそれぞれ。違和感や不思議や謎を、そのまま「なんだろう?」と思い続けながら見たり、「デ・キリコは形而上の……どんな真実や普遍を描こうとしたのか?」と考えながら見ていっても良いだろう。
古典絵画にハマった後のデ・キリコ作品
前項で記したようにデ・キリコは、1910年代に形而上絵画を描き始め、パリの画壇で人気を獲得する。だが彼は1920年あたりから、古典的なルネサンスやバロック期に描かれた名画を模写し、再び学び始めた。
そうした古典絵画のような雰囲気で描かれた作品も、本展では多く見られる。だが、こうした作品を見て、形而上絵画のデ・キリコ作品を知る人たちは、「どうした、デ・キリコ? なぜこんな誰にでも分かりやすい普通の絵を描いているんだ?」と思ったことだろう。少なくとも、展覧会を歩き形而上絵画に惹かれ始めていた筆者は、そう感じた。
だが安心してほしい。デ・キリコは古典的な絵画ばかりを描くようになったわけではない。古典絵画に惹かれつつも、形而上絵画を描かなくなったわけでもない。そして展示室を振り返れば、古典絵画と形而上絵画とを融合させた作品も見られる。
晩年に描いたバージョンアップ版の「形而上絵画」
冒頭で「展覧会のチラシなどでデ・キリコの作品を見た時と、実物を見た時で、これだけ印象がかけ離れていたのは初めてのこと」と記した。その最たるものが、晩年に描かれた「新形而上絵画」と呼ばれている作品群だ。
学芸員の髙城さんは、「新形而上絵画」を次のように語る。
「1968年くらいから最後の約10年、彼はそれまで絵画などで描いてきた構図やモチーフを組み替えて、新しい絵画を描くようになります。それが新形而上絵画と呼ばれる、晩年の様式です。画家が、ある意味楽しみながら描いていた様子がうかがえる、非常に軽やかで遊び心に満ちた作品になっています」
そう印象付けられる理由は様々あるだろうが、「新形而上絵画は、画面自体が明るくなっている」点も挙げられた。その明るさが、おそらくチラシなどの印刷物では再現できないのだろうし、絵を見て感じる立体感や奥行き感は、PCやスマホの画面では得られないものとなっている。また単純に、描かれているものに違和感を感じるよりも先に、愉快さや面白さが感じられる絵が多い。ヘンテコさに磨きがかかっているうえに、見ていて愉快な気持ちになるのだ。
同展では、デ・キリコが描いた80点以上の作品が見られる、とても希少な機会。こういう不思議な絵の何が良いのか? と思いながら見に行った筆者も、会場を進むほどにデ・キリコの沼にハマって行く自分が分かった。
学芸員の髙城さんは、デ・キリコが晩年に過去の作品を引用し、または過去の作品をコピーして再制作した姿勢は、1960年代のポップアートとも通じるものがあると語っていた。また実際に「ポップアートの代表的なアーティストであるアンディ・ウォーホルは、デ・キリコのことをポップアートの先駆者として、極めて高く評価して尊敬していたことで知られています」とも言う。
その解説を聞かなかったとしても、作品をコピーする画風のことを除いても、新形而上絵画のセクションにある作品を目の前にした多くの人が「これって、ポップアートだよね」と思うはず。つまり、半世紀も前に描かれた作品を見ても、なお古さを感じさせず、今の時代にもフィットしているように感じられる。そのため今回の「デ・キリコ展」は、特に「美術とか芸術って苦手だな」と思い込んでいる人にこそ、おすすめしたい美術展だ。