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ツッコミどころ満載の“かわいい仏像”が大集合! 「みちのく いとしい仏たち」

東京ステーションギャラリーのある東京駅丸の内駅舎

東京ステーションギャラリーで、北東北の愛らしい民間仏が見られる展覧会 『みちのく いとしい仏たち』が、2023年12月2日(土)~2024年2月12日(月・振)の会期で開催されている。

昨今、仏像の人気が高まっている。とはいえ実際には、“仏像”と言うだけで、「私には関係ないな」とか「さっぱり面白さが分からない」なんていう人がほとんどだろう。本展は、そんな「仏像初心者」の人にもおすすめしたい。なぜなら、仏像という言葉からイメージされる仏像とは、全く異なる、おそらく誰が見ても“ほっこり”するような“かわいい”仏像が見られるからだ。

みちのく いとしい仏たち

会期:2023年12月2日(土)~2024年2月12日(月・振)
会場:東京ステーションギャラリー(JR東京駅 丸の内北口 改札前)
入館料:一般1,400円、高校・大学生1,200円、中学生以下無料

JR東京駅の北口改札を出て、すぐの所にある東京ステーションギャラリー
展示されている仏像の、所蔵先マップ

なお、館内の撮影は禁止のため、展示品を撮影してSNSに投稿するといったことはできない。今回は許可を得て記事掲載している。

ひたすら優しい表情 素人が彫った民間仏

本展は、1章の「ホトケとカミ」や2章の「山と村のカミ」から始まり、全8章で構成されている。ただし、一般的な展覧会の章立てとは異なり、仏像の歴史をもとに、年代別などで分けたものではない。中には「笑みをたたえる」や「ブイブイいわせる」、「かわいくてかなしくて」などの、見た目や雰囲気で分けられた章もある。そうした意味で、どこから見ても楽しく回れる展覧会だ。

展示室に入ると、大きな仏像は少なく、20~50cmくらいの小さな仏像または神像が多くを占める。

まず「おぉこれだね」と目につくのが、本展のチラシなどのメインビジュアルとなっている、岩手県八幡平市の兄川山神社にある《山神像》。

岩手県八幡平市の兄川山神社にある、江戸時代に作られた《山神像》

本展の監修を担当された、弘前大学名誉教授の須藤弘敏先生によれば、「この《山神像》は、奇跡的に大切にされてきたもの」だと語る。一般的に、地方にある祠(ほこら)の中にある仏像などは、お宮などを開けると、かえって罰が当たるんじゃないかと思われていて、地元の人たちもお像を見る機会が少ないという。そのため、気が付かないうちに、お宮の中で朽ち果てていくことも多いという。

兄川山神社の《山神像》。横から見ると意外とふっくらとした顔立ち

全体を見ると、異常に体が細長く、角々している《山神像》。だが斜めから見てみると、その顔は意外とふくよか。顔の大きさに比べて、目鼻や口、耳などのパーツが小さく、むしろこちらが山神様の悩みを聞いてあげたくなる、そんな表情だ。

岩手県八幡平市の某社が所蔵する石像の《山神像》は、前述の須藤先生が「東北で最もファンタスティックなお像」だと絶賛。右手にまさかりを、左手に剣を携えている。

《山神像 石像》江戸時代・岩手県八幡平市某社蔵・岩手県八幡平市

展示室に入っていくつかの像を見ただけで、異様さを感じるだろう。従来の仏像や神像のイメージとは全く異なるからだ。そして、今回集められているのは、青森と岩手、秋田の各県の小さなお堂などに納められていたもの。それらを同展では「民間仏」としている。

民間仏とは何かと言えば、仏師や僧侶などのプロではなく、地元の少し手の器用な大工など、いわゆる素人が作ったもの。彫像のテクニックも稚拙な上に、仏や神を作る上でのルールは無視されたものも多い。

岩手県一関市の長徳寺所蔵の《僧形立像(聖徳太子像)》

須藤先生によれば、北東北には、民間仏ではない立派な仏像も多い。多いというよりも、現在も残っているのは、仏師などが作った普通の仏像がほとんど。民間仏は、同地方の仏像全体の中でも1~2割で、さらに今回出展しているのは、その中の数%でしかないという。

展示風景

須藤先生は「こうした民間仏は、粗末な材で、稚拙な技で彫られている」と語る。例えば展示室には、岩手県一関市の《僧形立像(そうぎょうりゅうぞう)》が、複数展示されている。実は、これらは聖徳太子像だと伝えられているのだが、おそらく仏像の専門家であっても、聖徳太子像だと分かる人はいないだろう。なぜなら、聖徳太子像という既存のルールに従って作られていないからだ。

本展で展示されている仏像のほとんどは、仏像を作る際のルール、儀軌(ぎぎ)を無視して作られている。そうした仏像ならではの魅力を、感じていく展覧会だ。

岩手県一関市の個人蔵の《僧形立像(伝聖徳太子像)》

思わずププッと笑ってしまう仏たち

解説パネルに、作品名として《六観音立像》と記されている像があった。例えば一般的には11の顔が配されているはずの十一面観音は、下写真の右から3つめの像。左から2像目は、千手観音とされている。《六観音立像》は一例だが、ほとんどの像が、ルールがほとんど無視されて作られている。

岩手県葛巻町の宝積寺に所蔵されている《六観音立像》
《六観音立像》を一つ一つ見ていくと、神々しさは希薄で、どれもご近所さんにいそうな表情

どれもこれも個性豊かで、展示室を歩きながらたびたび「なんだ、これは!」と心の中で叫んでしまった。そんな中で、ひときわ筆者の心を掴んできたのが、青森県南部町の個人が所蔵される《達磨像(だるまぞう)》。

眉を吊り上げ、への字に口を結び、額にはちまきを締めている気合の入りようなのだが、なぜか愛嬌が感じられる。目が合って「おっ!?」と思った後に、「ププッ」と笑ってしまった。個人蔵となっているが、これは確かに、家のどこかに置いておきたいと思わせる風貌だ。

青森県南部町の個人が所蔵される《達磨像(だるまぞう)》
展示風景

青森県五戸町の《毘沙門天立像》(個人蔵)も、なかなかの趣。よく見れば、“のみ”なのか彫刻刀なのかで像を彫り出していった様子が見られる。その粗い跡を手で撫でたくなるが、もちろん展示品を触ってはいけない。

また、毘沙門天に踏んづけられている、餓鬼にも注目してほしい。一般的な餓鬼は、踏まれて「うぎゃぁ~!」という表情をしているものだが、この《毘沙門天立像》に踏まれている餓鬼は、日なたで気持ちよく寝ている猫のようにも見える。

青森県五戸町の《毘沙門天立像》(個人蔵)

そのほか展示室には、様々な地域の“十王像”がある。十王とは、閻魔(えんま)王など10人の地獄の王であり裁判官。人は、亡くなった日から49日までの7日ごとに、6人の王の裁きをうけて、結論が出ない場合には100日目、また1周忌、3回忌に裁判が行なわれる。そして極楽浄土に行けるか、それとも地獄に行くかが決まるとされている。

閻魔王が有名だが、いずれの王も通常はものすごく怖い顔をしている。須藤先生も、各地に残る十王像を調査してきたが、どこの十王も「優しくないんですよね。ただひたすら怖い」のだそう。だが北東北の、特に秋田県の十王は「かぁ~わいくて、しょうがない(笑)」と、慈しむように語る。

特に須藤先生の、“推し”の十王は、秋田県湯沢市の三途川集落の自治会が管理している《十王像》。

秋田県湯沢市の三途川集落自治会で管理している《十王像》

これらの《十王像》は、たしかに微笑みすら浮かべているようで、優しい表情をされている。また、中国風の道服を着る一般的な十王像とは異なり、神社の神主さんのような服を着ているようにも思える。

須藤先生は、「かわいいんですよ。そして本当に下手くそなんです(笑)」と言いつつ、「要は仏像としてのルールを無視して、稚拙な技巧で彫っているんです。でも、こうした稚拙なお像を信仰したことが、私は大事だと思っています」と語る。生きることが大変だった時代と環境だからこそ、こうしたルールを無視した優しい表情の、住民に寄り添った十王像が生まれたのかもしれない。

込められた気持ちが伝わってくる右衛門四良の仏たち

全8章の展覧会の中で、唯一、作者の名前を冠しているのが第7章の「大工 右衛門四良(えもんしろう)」。右衛門四良は、青森県十和田市の大工。民間仏で作者がわかるものは極めて珍しいのだが、彼の作品は100体が現存する。

右衛門四良作《地蔵菩薩立像》江戸時代(18世紀後半)・青岩寺・青森県七戸町

解説パネルでは右衛門四良について、「その作風は巧みではなく……」などや「彩色像もやっつけ仕事のような仕上がり」、または「彼は一貫して彫刻上手になることを自ら禁じていたよう」、「大工だったのに細かな細工や愛想の良い表現と無縁」などと記されている。ただし、味のある作品ともいえるだろうし、だからこそ地元で100体も残っているのだろう。

右衛門四良作《地蔵菩薩立像》江戸時代(18世紀後半)・青岩寺・青森県七戸町

《童子跪坐像》は、接地面がロッキングチェアの脚部のように彫られ、ゆらゆらと前後に揺れる。これは、鬼や(亡くなった人の審判を行なう)十王に「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っている様子を表現しているのだという。亡くなった子供を、供養するために作られたのかもしれない。

右衛門四良作《童子跪坐像》江戸時代(18世紀後半)・法蓮寺・青森県十和田市
右衛門四良作《十王像》江戸時代(18世紀後半)・法蓮寺・青森県十和田市
右衛門四良作《地蔵菩薩立像》江戸時代(18世紀後半)・法蓮寺・青森県十和田市

幼児をギュッと抱きしめる観音像に、思わずホロリ……

最後の8章「かわいくて かなしくて」には、須藤先生が35年ほど前に出会い、民間物を行脚するきっかけとなった《子安観音坐像》が展示されている。初めて見た時に「こんな表現ってあるのか! いっかな津軽でも、これは! と思うようなお像」だと感じたという。

《子安観音坐像》江戸時代・慈眼寺・青森県五所川原市

須藤先生によれば「仏像は感情をあらわにしてはいけないし、まして口を開いちゃいけないことになっている」という。だが、この《子安観音坐像》は口を開いているし、胸元に抱いた幼児もまた口を開いているようにも見える。そのため先生は「親子で会話をしているよう」に感じるとし、「おそらく赤ん坊や、その母親を亡くした遺族が、供養のために作らせたのだろう」と推測する。

幼児をギュッと抱きしめる姿が印象的な《子安観音坐像》。江戸時代・慈眼寺・青森県五所川原市

須藤先生は「みちのくの仏像は、なぜかわいいのか?」と頻繁に聞かれるそうだが、「北東北では、それだけ悲しいことや悔しいこと、辛いことがたくさんあったから」だと言う。そして「今回の展覧会で、みちのくの人たちの色んな思いを、少しでも汲み取っていただければありがたいと思います」とも言う。

本展の監修を担当された、弘前大学名誉教授の須藤弘敏先生

この最後の8章には、他にも多くの民間仏が展示されている。それらとともに江戸時代前期の僧、円空による《観音菩薩坐像》も見られることも、追記しておきたい。北海道から関西地方の各地に残る、いわゆる円空仏は、今回の展覧会の定義によれば民間仏ではないと思う。だが、みちのくの仏たちと溶け込むように展示されているのが印象的だ。北東北で仏像を作った人たちと円空が、なにか影響しあっていたのかもしれない。

江戸時代(1666年頃)に円空により作られた《観音菩薩坐像》。青森県蓬田村の正法院に所蔵されている

最後に、ミュージアムショップに立ち寄るだろうが、おすすめは本展の図録。こちらも、一般的な展覧会で用意されている大きくずっしりと重い図録とは異なり、ひと回り小さく軽い。展覧会の余韻にひたりながら、帰りの電車で気軽に読んで、振り返ることができる。読んでいると展示室で仏たちを見た時のことを思い出して、思わずニヤリッと笑ってしまう、そんな図録だ。

ミュージアムショップ
図録(2,400円)