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北京五輪金メダルのネイサン・チェンが来日 自ら語った平昌の挫折と北京の栄光

出版記念イベントに登壇したネイサン・チェン選手

2022年北京オリンピック 男子フィギュアスケート金メダリストのネイサン・チェン選手が来日し、KADOKAWAより出版した『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』の記念イベントが18日に開催されました。

同イベントはチケットが発売されると開始10秒で即完売。急きょオンライン配信も決定するほど話題を集めました。イベント当日は満席の会場がネイサンの登場を歓迎し、約50分のトークと撮影会が行なわれました。

トークコーナーでは書籍の内容を振り返りつつ、初めてのオリンピック出場となった平昌オリンピック、そして金メダルを獲得した北京オリンピックについて言及。その裏話を語りました。

『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』(KADOKAWA)

なぜ今回自伝を書いたのか、ネイサンは「自分は今までたくさんの人に支えられてきて、そのおかげで今の選手としての有様があります。私1人では無理だったのです。私のキャリアには、見えないところで私を支えてくれた人がたくさんいるので、そういった方々の話を皆さんと共有したいと思い、この貴重な機会をいただきました」と話します。

「子供の頃、うちはお金がある方じゃなかったので、スケートのレッスン代、靴代、リンク代とそんなに払えませんでしたが、助けてくれる人がたくさんいました。リンクを借りるのも5分を5回など少しずつしかできませんでしたが、周りの人たちがいいよいいよと言ってくれたおかげで5分が10分、10分が50分、1時間、2時間と伸びていき、みなさんのご厚意で私はスケートを続けられ、不可能を可能にしていけたことがあります。その成長を支えてくれた方々への感謝をどこかで伝えたいと思いました」

イベントチケットは開始10秒で即完売。満員の会場がネイサンの登場を歓迎していました

平昌での挫折から学んだこと

ネイサン・チェンといえば「ジャンプの申し子」とも呼ばれるほど、多彩な4回転ジャンプが特徴の選手です。平昌オリンピックが開催された2017-2018年シーズンは、グランプリシリーズのスケートアメリカとロステレコム杯、グランプリファイナル、全米選手権で優勝し、平昌オリンピックでも金メダル最有力と言われていました。

シーズン全勝で迎えた平昌オリンピックでしたが、個人戦SP(ショートプログラム)で、すべてのジャンプを失敗し17位発進。FS(フリースケーティング)では4回転ジャンプ6本に挑戦し、5つのジャンプを成功させ巻き返し、FS1位、合計5位入賞という結果に。

2度目の出場となった2022年の北京オリンピックでは、SPで世界最高得点を更新。FSでは5回の4回転ジャンプをすべて成功し、SP・FSともに1位で金メダルを獲得しました。

当時のことは自伝でも振り返っていますが、イベント当日にも本人からエピソードが語られました。

「1度目と2度目のオリンピックの間に、メンタルトレーニングを新たに始めました。平昌オリンピックのシーズンは最初は調子が良かったのですが、1年の間にアップダウンがあり、自信をだんだん失ったという経緯があります。どうしても上昇できず、オリンピックが近づくにつれ調子が下がり、シーズンを終わる頃には本当にひどい状況でした、その原因を考えると、必要以上に練習をしようとする自分がいることに気が付きました」

朝練習をし、夕方練習が終わってチームメイトがいなくなるとまたリンクに戻る。みんなより練習するんだ、もっとやればもっとうまくなるはずと思い込んでいた、とネイサンは話します。

「確かにそういう側面も競技としてはあり、長期的に見ればやればやるほど上達します。ただし、体は疲れており、休むことの大切さ、リラックスすることの大切さを学びました。また、アスリートには競争相手がいます。相手よりもっとタフに、もっともっとと思っていたのですが、そうじゃない、アスリートの前に自分は人間なんだから、きちんと回復する、自分のコンディションを整えたら次の日に効率的な練習ができる、やるべきことができるよう体調を整えようということを学んだのです」

平昌オリンピックと北京オリンピックの間について自ら語りました

平昌オリンピックを終えた後、ネイサンは2年間大学に通い、スケートと学生の2足の草鞋で生活をします。

「練習拠点のカリフォルニアに戻ったとき、メンタルトレーナーのエリック先生と会い、自分の頭の中に枠組みを作ろうという話をしてもらいました。『まず人間としての君がいるだろ、そこにアスリートというもう1人の自分がいる、アスリートは氷上に乗ったら3~4時間はすごく集中している。しかし、そんな状態をずっと維持はできないから、氷を降りたら人間に戻ろう。誰かの友人である自分、息子である自分など、色んなスイッチを入れて自分の役割を変えていくことが大事だよ』と言われました。その話のおかげで、1日の間ずっとスケーターモードは無理だということを自覚しました」

メンタルトレーナーと話す中で、ネイサンはもう1つ、感謝の気持ちを学んだと話します。

「これがとても大事でした。平昌から北京オリンピックの間にパンデミックが起こり、自分は滑ることが好きで、好きなことをやらせてもらっている、パンデミックで皆さんが未来に不安を抱いている中でアスリートでいられる自分、やりたいことをやらせてもらっていることに感謝しようと、視点の変換ができたことが良かったと思います。勝つためにオリンピックに行くのではなく、夢であったオリンピックに行く、と気持ちを変えていったことがすごく良かったです。3歳から夢見た場に立てる、すべてのプロセスがあって自分なんだ、そこに誇りを持つという、考え方の違いが大きかったと思います」

コロナ禍でのオリンピック

メンタルトレーニングを経て、2022年ネイサンは北京オリンピックに挑みます。コロナ禍でのオリンピックという誰もが経験したことのない状況でしたが、「チームメンバーと本当の意味でファミリーになれた」とネイサンは振り返ります。また、北京入りしてからの生活については、平昌のときとあまり変わらなかった、と言及。

北京オリンピックでは、コロナ対策としてバブル方式(選手や関係者を隔離し、外部との接触を極力避ける感染対策方法)での行動が採用されました。

「オリンピックはパスがないと入れないところが多く、元々行動が制限されており、一般の人と交わることがありません。なので平昌オリンピックのときもバブル方式のような行動をしていました。平昌のときは練習用のリンクが試合会場から1時間ほど離れた場所にありましたし、北京オリンピックでもあまり隔離されていると思わずに過ごせました」

しかし、家族が現地に訪れることは難しく、その分チームとの絆が深まったと話します。

「安心安全が第一なので家族は来れませんでしたが、チームメンバーとは一致団結でき、本当の意味でファミリーになれたと思います。競技が終わった後は解放され、めいっぱい楽しめたのも良い思い出です」

撮影タイムに応じるネイサン

気持ちが沈むときはその日のベストを思い出す

トーク終盤ではファンからのQ&Aコーナーが設けられ、「どんなプログラムを滑りたいか?」という質問に回答。

「ジュニア時代のプログラムを滑りたいですね。ジュニア時代の僕は優秀だったので(笑)。四季や三銃士など、忘れているステップもあるので学び直したいと思います」

また、気持ちのアップダウンがあるときにどうしたら良いかという質問には、「先ほどのメンタルトレーナーのエリック先生から学んだことなのですが、僕は寝る前にその日の氷上で一番ベストだったときのことを思い出すようにしています。30秒~2分ほど、どんな場面でどんな服だったか、ビジュアルで繰り返し思い出します。良かった感情を思い出して睡眠を取ると、良い気持ちで過ごせますので、皆さんもぜひ試してみてください」とアドバイスをしていました。

ファンからのQ&Aコーナーも設けられました

今回の来日は、7月22日~8月4日に開催されるアイスショー「THE ICE」出演のため。愛知、日光、大阪、盛岡での開催を予定しています。

また、今回のイベントはオンライン配信のアーカイブも公開されています。本編では今回レポートした内容以外の話も盛りだくさんなので、気になる方はぜひチェックしてみてください。