第8回 列車を見送った理由

 さて、どこで降りようか。窓の外を眺めながら、次に降りる駅を考える。

 初めて訪れた土地だった。しかし郊外の景色というものは地域は変わってもどこも似たようなところがあり、よくよく考えれば自分の住む町にも似ていた。強いていえば、ここは背後に山が広がっているという点で違うくらいだ。なのに、どうして車窓に広がる景色はこうも魅力的に映るのだろうか。高原鉄道でもなく、オーシャンビューの路線でもない。小さな町を走る、小さな鉄道だった。

 町の中心地を通過して、いったん畑ばかりとなった風景に再び、家が増え始めた。数軒建ち並ぶハウスメーカーの規格住宅から、「販売中」ののぼりがはためいている。次々と移り変わる景色に、あわただしく視線を移す。

 カメラを取り出して窓の外を撮ってみる。他の乗客の目を気にして静音モードにセットしたが、やっぱり地元住民からするとおかしな光景なのだろう。一体何を撮っているのと言わんばかりの不思議そうなまなざしで、レンズの向ける先を探っている。

 撮影画像を液晶モニターで確認すると、高速で過ぎていく近景は大きく流れ、架線柱が黒い影となって写りこんでしまったカットも多い。見たときの印象を写真で再現することは難しかった。

 思いついて次の駅を降りてみた。少し大き目の駅だった。次の列車まで1時間。周囲をちょっと散策すればあっという間に過ぎてしまう時間だ。

 まずは荷を整理しようと改札外のベンチに腰を下ろすと、駅前を通りがかったおばあさんに「電車は行ったばかりだから当分来ないよ」と話しかけられた。町の人にとっては単なる移動手段であるこの路線。1時間後の列車までじっと待つなんて考えられないことだろう。

 私は駅を出た。初めての町で見るものは、お店の看板もマンホールも、何もかもが新鮮に映る。気分が高まるが、次の列車の時間を考えるとあまり駅を離れられないのが残念だ。

 「いいもの探し」をしながら線路沿いの草道にさしかかった時、今度はおじさんに声をかけられた。

 「あー、電車撮りに来たのー? どっから?」

 その場で約1時間の立ち話。自分が乗るつもりだった列車を目の前で見送ったときには正直やるせなかったが、楽しい時間を共有できたのだから、まあ、いいか。

 別れ際に写真撮らせてほしいとお願いすると、「こんなおじさん、やめなよ」と言いながら、ほれ、と表情を作ってくれる。これは自分の思い出のためだけの写真。

 結局これだけで2時間の下車となってしまった。再び列車に乗り込むと、また車窓には歩いてみたい風景が広がり、降りてみたい駅が過ぎていった。けれども、帰りの時間を考えると、もう途中下車する余裕はない。

 先ほど降りて撮った写真は、駅、道端の草、変な看板、そして愉快なおじさん。列車の写真にいたってはホームで撮ったものだけ。手元の路線図を見ながら今度はあの駅で降りてみようと再訪を心に誓うのだが、いつだって二度目はないのだった。

(2013/3/29)

1976年生まれ。カメラ誌出版社を経てフリー。カメラ雑誌や書籍での撮影・執筆を中心に、保育雑誌での撮影、その他依頼撮影などに従事。カメラはデジタル一眼レフと各種フィルムカメラを愛用し、フィルムカメラでは特にパノラマカメラHORIZONや中判カメラHASSELBLADがお気に入り。撮影テーマは、郊外、自然・アウトドア、子どもなど。 ブログ:http://bashinote.blog.fc2.com