VR Watch

VRは人間のあり方そのものを変えていくのか

3D&バーチャルリアリティ展 基調講演レポート

VRとその隣接分野における技術によって、人間とコンピューターは不可分となり、SF作品のごとく人間のあり方そのものが変容していく――。

6月22日から24日にかけて行われた「第24回 3D&バーチャルリアリティ展(IVR)」。本記事では、東京大学名誉教授の舘暲氏と、東京大学大学院教授の廣瀬通孝氏による基調講演のレポートをお届けする。

2016年は「VR普及元年」

東京大学名誉教授 舘暲氏

東京大学名誉教授の舘暲氏による講演は「ロボットとバーチャルリアリティの先端技術と未来像」と題された。舘氏は「テレイグジスタンス」の概念の提唱者であり、今年で20周年を迎えた日本バーチャルリアリティ学会の初代会長を務めた人物でもある。テレイグジスタンスとは、例えば遠隔地に存在するロボットを、ロボット自身の視覚や触覚などのフィードバックを受けながら操作するという概念で、あたかも自分自身がロボットそのものとなったかのようにリモート作業を可能にするものだ。

舘氏は、VRという言葉が生まれた1989年を「最初のVR元年」と定義。「等身大3D」「実時間(リアルタイム)インタラクション」「自己投射」という、VRに必要とされる3要素もこの時期に固まった。

VRという言葉の生みの親であるJaron Lanierが参加した最初期のVR企業、「VPLリサーチ」社が開発した「VPL Eyephone」。VRの3要素を満たすデバイス(VRWiKiより

そして続く1990年。テレイグジスタンスをはじめ、テレコミュニケーションやコンピュータテクノロジー、サイバネティクスといった各分野の研究が、マサチューセッツ工科大学の関係機関が主催する「サンタバーバラ会議」で一堂に会し、ひとつの「VR」という概念に収斂。VRが、様々な分野で活用可能な新しい研究領域という認識が共有されるようになった。

舘氏はそうした事実を踏まえ、2016年は「VR元年というよりはVR普及元年」とし、昨今の急速な普及の要因として、VRの要素技術が出現した1960年代に比べて「デバイスの価格は100分の1、性能は100倍以上」となったことを指摘する。

VRが導く「身体性メディア」への可能性

Oculus Riftの登場に始まるVR普及元年は、主にVRヘッドセットの技術革新がリードしているが、舘氏は現状のVRヘッドセットの先にある裸眼3D技術を紹介。VRグラスなしで3次元オブジェクトを実空間に投影し、インタラクションも可能な「RePro 3D」や「HaptoMIRAGE」、「ツイスター」などの研究を例として挙げた。

さらに、舘氏が次なる課題として挙げるのが「触覚」の再現。現実とVRのあいだのインタラクションを実現するための触覚インターフェースは、グローブ型のデバイスなど古くから存在するが、実のところ1990年代から2016年までのあいだに視覚デバイスほどの急激な進歩をしていないという。

舘氏は、視覚や聴覚と同様に、触覚の「メディア化」に取り組む。たとえば視覚でいえば、RGBの三原色に「分解」し、データとして別の場所に「伝送」し、最終的にディスプレイ上に「合成」することで再現でき、さらに画像処理ソフトなどで「編集」することも可能で、これを指して「視覚がメディア化」しているといえる。言うまでもなく、五感のうち「視覚」「聴覚」はすでにメディア化可能だが、残りの「触覚」「嗅覚」「味覚」については完全なメディア化は実現していない。

舘氏は、視覚における三原色と同様に触覚を「触原色」に分解・合成する理論を説明。物理空間→生理空間→心理空間という2段階の変換を行うことで触覚をメディア化する「触覚ディスプレイ」の研究を進める。その実例である「TECHTILE toolkit」は、紙コップから紙コップにまるで糸電話のように触覚を伝える研究。

TECHTILE toolkit。一方の紙コップに石などを入れて振ると、中央のプロセッサユニットで処理され、もう一方の紙コップに触感が伝わる

では、以上のようなVR技術で社会はどのように変わりうるのか。舘氏は、VR技術の進展とそれによるテレイグジスタンスの実現によって、「人の移動の概念が変わる」と説明。身体そのものを移動するのではなく、VRにより身体機能を別の場所に移動することが可能になることで、労働力の移動速度はもはや物質の移動速度に制約されなくなる。さらに義体(=遠隔操作ロボット)による身体機能の補綴と拡張が可能になることで、これまでにない遠隔労働環境が実現。労働環境の向上や労働力不足の解消などはもちろん、ビジネスにおける時間的コストの解消、交通問題緩和、人口集中緩和、ワークライフバランスの向上などがもたらさせるとする。

インターネットにより文字情報や画像、音声などの情報を遠隔地にただちに伝達できるようになったことで、社会は大きく変化した。しかし、現状では情報として伝えられるものはまだまだ限られている。視覚・聴覚以外の五感がメディア化され、真の「身体性メディア」が実現することで、テレイグジスタンスのみならず「身体性コンテンツ」など、さまざまな産業展開が可能になるとのことだ。

五感情報技術とクロスモーダル

東京大学大学院教授 廣瀬通孝氏

続く東京大学大学院教授の廣瀬通孝氏による講演は「五感に訴えるVR技術〜新しい産業生態系を目指して」と題されたが、廣瀬氏によれば、本来のテーマは「情動」。

廣瀬氏はまず、1990年代に勃興した初期VRを「第1世代」と規定。現在のVRは「第2世代」に突入しつつあるとした上で、その世代のあいだにさまざまな質的変化、たとえばハードとソフトの低コスト化により「VR世界を作り上げる難度」が下がったことや、現在では製薬や食品といった異分野での関心の高まりがあることなどを挙げた。

また、VRにおいては「見ること」は同時に「見られること」、すなわち何かを「見る」という行為それ自体が自分の興味や意図をさらけ出すことにほかならないとして、VRが本質的に持つインタラクティブ性に注目する。

そうしたVRのインタラクティブ性を補強するのが五感情報技術だ。廣瀬氏は、五感をVRで再現することにおいては「第1世代」で挫折があったと説明。五感それぞれを現実とVRで一対一に対応させたうえで足し算すれば究極のVR体験が可能になると考えた第1世代型VRだが、単純な足し算はシステムの複雑化を招き、しかも味覚や嗅覚をダイレクトに再現することの難しさもあったという。

それを踏まえ、現在の五感情報技術は、心理学などの研究成果も含めたものとなっているという。そのキーとなるのが、「クロスモーダル」あるいは「マルチモーダル」と呼ばれる考え方だ。

人間の五感はそれぞれが完全に独立しているわけではなく、相互に影響を及ぼしあっている。例えば、オーケストラの指揮者がタクトを振るのに合わせて奏者が演奏する場合、奏者の動きはタクトの動きよりもタイミングが幾分遅くなり、指揮者の手の動きに完全には同期しない状況になる。指揮者はこれをまるで自分の手が「重く」なったように感じ、疲労感を覚えるという。廣瀬氏はこれを指して「視覚によって触覚が生成された」例と説明する。

こうしたクロスモーダルの考え方を用いると、「味」のように単独では再現が難しい感覚も、比較的容易に生成可能となる。例えば「Meta Cookie」という実験においては、視覚と嗅覚によって「風味」を生成できることが明らかになった。こうした現象を指して廣瀬氏は「感覚はクロストークする」と表現する。

情動のコンピューティング

以上のような五感情報技術と密接な関わりを持つのが、感覚のさらに上位概念である知覚、そして認知……とりわけ「情動」にまつわる情報処理を行う「Affective Computing」だ。

五感から得た感覚は、「気持ちよさ」や「臨場感」として「知覚」され、そこから「情動」(emotion)が生まれる。そして情動は人間の「意志」や「行動」に変化を促す。つまり、情動を動かすことによって、人間の変化を誘発することが可能になるという。

その例として挙げられたのが、「扇情的な鏡」というメディアアート。

扇情的な鏡(画像はグッドデザイン賞ホームページより)

通常の鏡であれば、対面した人の現在の顔、表情をそのまま映し出すわけだが、「扇情的な鏡」は、画像処理を用いて実際とは違う表情にモーフィングして映し出してしまう。その結果、実際の自分は不機嫌でも、笑顔になった自分を目にすることでポジティブな感情が喚起され、楽しい気分でいても、泣いている表情の自分を見るとネガティブ感情が喚起される。つまり人間の情動というのは、自分自身に起きた変化が(たとえまやかしであっても)「認知」されることによって生じ、さらに、その情動によって逆説的に実際の変化が促されることがある、というわけだ。

影響があるのは自己の変化だけではない。「SmartFace」という実験では、ビデオ会議の際に会話相手の表情を笑顔に変化させると、ブレインストーミングで出るアイディアが増えたという。

人間にとっては「気のせい」でも、その「気のせい」が人間の行動、つまり、まぎれもない「現実」を変えうる、それこそが情動の技術であると廣瀬氏は言う。

情動の技術においては、人間の身体変化や行動をセンシングし、得られた情報を処理し、その出力結果を人間が認知することで行動が変容、さらにそれがセンシングされ……というループが生み出される(サイバネティックループ)。センシングといっても、要はなんらかの人間の行動を情報として処理できればいいわけで、高度なセンサー技術が必要になるとも限らない。例えば、人間の行動記録を残していく「ライフログ」においては、過去の行動記録から生成される「予測された未来」そのものが人間の行動を変容させうるという。

VRは、その本質的なインタラクティブ性もあり、「人間の行動のセンシング」を進めていく。こうしたVRの発展により、互換情報技術など周辺分野の研究も同時に勃興していくはずだ。廣瀬氏はこれを指して「VRを酒の肴にしてイノベーションを起こす」と表現する。VRをきっかけに産学連携や異業種連携が進み、その結果もたらされるイノベーションが新たな産業生態系を生むことに、廣瀬氏は期待を寄せる。

VRをきっかけに人間のありかたが変わる

舘氏と廣瀬氏、双方の研究は、VRや五感など共通する部分が多いが、その目指す先は対照的だ。舘氏の提唱するテレイグジスタンスが、人間の身体性をロボットを用いて外部に拡張していく技術だとすれば、廣瀬氏の説く「情動の技術」は、人間の内的システムを外部の情報処理システムを用いて拡張するものと見ることができる。

いずれにしても、VRをきっかけに人間のあり方そのものが変容していく可能性が示されている。それは結局のところ、人間とコンピューターがこれまで以上に不可分になっていく未来ともいえそうだ。

これまでのコンピューター対人間のコミュニケーションは、キーボードやマウスといった限定的な物理インターフェースを用いて成されるのが常だったが、現在のVR技術の先にあるのは、五感や表情、人間のあらゆる身体変化を活用したインターフェースだ。そしてそのインターフェースを通じて、人間がコンピューターに、コンピューターが人間に、相互にフィードバックを繰り返していくーー。

そうした技術が実現した先にどのような社会が立ち現れるのだろうか。楽しみでもあり、怖ろしくもあるかもしれない。