Watch 10周年企画ということになっているが、実はAKIBA PC Hotline!は前身の秋葉原マップの時代を入れると11年目のサイトであり、Watchの中では最古参になる。よくもこんな特殊なサイトがこれだけ長く生き残ったもんだなと我ながら感心する(笑)。
個人的にはノスタルジーな方向で話をするのは好きではないが、考えてみれば、これまでどんな経緯で出来ていったのかについてほとんど語ったことはなかったので、これを機会にここで立ち上がりを中心に歴史を語っておくことにしよう。
● 始まりは歩幅で計った秋葉原マップ
そもそもの始まりは、1994年のWindows 3.1時代に私が個人で作った、その名も秋葉原マップという秋葉原の自作PCパーツショップを記した地図ソフトだった。ソフトといっても、Windowsアプリケーションのヘルプ用ファイルを応用し、地図上のショップ名をクリックすると連絡先などの情報が出るという単純なものだった。しかし、リンクを介したハイパーテキストを地図ソフトとしてWindowsヘルプで実現したというのは我ながらいいアイデアだったし、なにより誰も思いつかなかったことを先にやったということに対して強い自負があり、とにかく没頭して更新を続けた。
その当時はPC/AT互換機でPCを自作するDOS/Vブームの真っ盛りで、秋葉原には日々自作PCショップが生まれ、雑誌の広告も電話帳を目指すのではないかと言うほど厚くなり始めていた。そんな状況なのに秋葉原のショップ位置情報をまとめたものがないのが不満で、それならば自分で作ってしまえ、と思ったのがそもそものきっかけ。今となっては笑い話だが、一人で方眼紙を持って秋葉原中を歩き回り、歩幅と歩数でビルの大きさを計って地図を起こしていた。雨の日も風の日も、いや風邪の日も(笑)。
そんなことを続けているうちに、DOS/V POWER REPORT誌のCD-ROMに収録されるようになり、そしてWatchシリーズ生みの親である山下憲治氏から「これをWebでやろう」と声をかけられたのがWeb版秋葉原マップの始まり。その後、どうせなら秋葉原のショップの特価品や新製品入荷のニュースを載せようということになり、アキバHotLine!という名のコーナー始めたのが1995年6月。ニュースサイトとしての始まりをこれだとすれば、歴史は11年半ということになる。
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秋葉原マップ |
アキバHotLine!
(1996年12月10日) |
● 価格比較をWebで最初にやることの苦労
ニュースを載せ始めると、とにかくアクセスが殺到した。なにしろ、当時は日本ではWebの強力なメディアなどほとんどなく、秋葉原の情報を価格付きで速報として写真込みで載せるところなどここしかなかったからだ。当時は社外の人間だった私が一人でインプレスの回線を土日は食いつぶし、サーバーも良く倒していたが、山下氏も含めて休日も深夜も関係なくサポートし続けてくれたことは今でも感謝している。当時はWebで広告収入を得る手段もなく、採算度外視でとにかく一緒にみんなで面白がってやっていたように思う。
ニュースを載せ始めて最初に苦労したのは、店頭価格をWebに載せたりそれを比較することへのショップからの反発だった。当時はリアルタイムに店頭価格が全国に伝搬することなどショップにとっては青天の霹靂。価格を載せるなと怒られ、嫌みを言われ、しばしば凹みもしたが、パブリックな事実を並べることが悪いわけなどないし、いずれネットですべての価格は比較されることになるのだ、という強い信念で続けてきたし、今でも結果としてそれは正解だったと思う。
● 代替わりする秋葉原を前にして
今では秋葉原の自作PCマーケットをスタッフ5人体制で日々報じる大所帯だが、そもそもの始まりはそんな個人サイトのノリで、よもや11年も続けて編集部なる組織まで出来るとは思ってもいなかった。というより先のことなど考えてやっていなかった、というのが正しいかも知れない。ただ夢中になって掘り返していたら、こんななってました…というのが本当のところ(笑)。
AKIBA PC Hotline!は秋葉原が家電の街から電脳街へと生まれ変わるなかでインターネットの波と共に生まれるべくして生まれてきた。自分がやっていなければ、きっとほかの誰かがやっていただけのことだろう。
その秋葉原も今度は萌えの街へ新たな代替わりをしつつある。秋葉原が変わるなら、AKIBA PC Hotline!も変わらざるをえないわけだが、それについてはどうすべきかまだ答えは出ていない。秋葉原というカテゴリーからはずれる手もあるし、また新しい秋葉原を追いかけるという手もある。いずれにしても、方向性はともかくとして何か新しいことを追いかけ続けていることに変わりはないはずだ。
その答えはまた10年後に。
(AKIBA PC Hotline! 編集長 石橋 文健) |
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