変わっていくもの、そして変わらないもの
~一ライターの10年 |
ちょうど10年前ぐらいのことだろうか、当時大学生だった私が住んでいた狭いワンルームマンションに大きな段ボール箱が届いた。箱を開けてみると、私が欲しかった数学や物理の本がたくさん詰まっている。中にあった手紙を開いてみると、送り主は企業に属している研究者だといい、「あなたが非常に熱心にメーリングリストで質問していたので、邪魔かもしれないけれども不要の蔵書を引き取って勉強してもらえたら嬉しい云々」というようなことが書いてあった。
世の中にはなんと親切な人がいるものだと心底感激し、早速メールでお礼は書いたものの、私も現金というか不義理なものでして、10年も経ってしまった現在、どこのどなただったか全く思い出せない。心当たりのある方、その節は本当にありがとうございました。
最近インターネットを利用するようになった人から見れば、知らない人からいきなり荷物が送られてくるなんて「怖い」としか思えないかもしれない。でも10年ほど前のインターネットはまだ牧歌的だったのだ。メーリングリストや「fj」などのニュースグループの多くは実名で書くのが前提で、住所や電話番号がシグネチャに書いてあることも珍しくなかったのだ(実は私もそうしていた)。
あのころは本当に多くの人に良くしていただいた。上に挙げた例はほんの一例に過ぎず、格安の本をたくさん頂いたことは一度や二度ではない。それに当時はSkypeやインスタントメッセンジャーのような便利な道具は何もなかったけれども、メールを駆使して海外の大学院生や大学院生と大学の課題やら生意気にも難しい問題に取り組んだりしたこともあった。そんなわけで夜中に家で寝ていたら突然英語で電話かかってきて、「いま近くにいるんだけど」なんて言われて焦ったこともあった。今でこそ「ソーシャルネットワーク」なんていう言葉が流行してみんながmixiだMySpaceだと騒いでるけれども、当時の方がよっぽど密で「ソーシャル」だったような気がする。
そんなわけで私が生まれて初めてお金を稼いだのはインターネットで知り合った人に頼まれたインターネットのバイトであり、その流れであれやこれやとしているうちにインプレスのWatch編集部とご縁ができたというのがこの業界で仕事をするようになったいきさつなのである。考えてみればホントに良い時代で良い人に恵まれた。運が良かったとしか思えない。
大学生のひよっこだった私が、道ばたで子供に「おじさん!」と呼ばれるほどの年月が経つと、怖いほど記憶力が衰えてくる。その時代のことを思い出そうとしてもなんだかぼんやりしているみたいだ。INTERNET
Watchが始まった1996年といえば(1995年にプレ創刊があったような気がするけど)、Netscapeによって引き起こされた「インターネット革命」がまさに進行中の激動の、とにかく激動の時代だった。キーワードを思いつくままに列挙してみると、Netscape、Netscape、Netscape、そしてRealAudio、ICQ、PointCast、VocalTecとなるだろうか。Netscapeの影響力はとにかく絶大だった。
それは脇に置いても、ほとんどのソフトが米国で生まれたというのも今考えると凄いというか残念というべきか。ICQはイスラエルで生まれたけれど、ビジネスになったのは結局米国だった。そういえば、最初の頃のNetscapeは建前上有料だった。ベータ版だと試用期限があるのだが、次々に新しいベータが公開され、あれよあれよという間にバージョンが上がっていって、当時はしょっちゅうソフトをインストールしなくてはならなかったという印象がある。Netscape対Internet
Explorerの壮絶な「ブラウザ戦争」の煽りでHTMLのタグが増えていったのもこの時代だ。
同じ頃、NetscapeはSunと大々的な提携を発表してJavaをブラウザに組み込むことを発表した。これによって、ブラウザの中でアプリケーションを動かせるようになったわけだ。Netscapeは、おそらく最初からブラウザをアプリケーションプラットフォームにするという野望を抱いていたからこそ、Microsoftとの泥沼の法廷闘争にも足を踏み入れたのだろう。
結局この時のクライアントサイドJavaはうまくいかなかったけれど、最近になってAjaxとかFlashをうまく使って似たようなことをやれるまでになった。当時は動作が重かったりよくハングしたりでJavaを敬遠するユーザーもいたが、今ではブラウザでJavaを実行することなんて誰も気にしないという状況になった。
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サン・マイクロシステムズが1998年に発表したネットワークコンピューター「JavaStation」。価格は99,800円だった。日本は1997年の消費税引き上げをきっかけとしたバブル崩壊期で、500ドルPCのコンセプトは歓迎された |
さて、SunとNetscapeの提携から2~3年経った頃だろうか、あのOracleのラリー・エリソンがネットワークコンピュータ(NC)とか「500ドルPC」なんていう話をし始めて大いに流行した。500ドルのPCでブラウザさえ動かすことができれば、Windowsなんて重たいOSがなくてもJavaさえ動けばいいじゃないか――というような発想であり、たくさんの企業がこのコンセプトに乗っかってネットワークコンピュータを発表したものだ。
2006年もあと1カ月余りとなった今、10年前のことを振り返って現在の状況と比較してみると、実は「ブラウザの中でアプリケーションを動かす」という基本的なコンセプトは全く変わっていないではないかということにあらためて驚かされてしまう。
最近Googleが始めた「Google Doc & Spreadsheets」は、ブラウザの中のワープロだし、後にMicrosoftに買収されたHotmailに始まり、最近はGoogleがGmailで一段と進歩させたWebメールもそう、eGroupsなどのグループウェアもまた然りである。meemboやGmailに見られるように、最近はインスタントメッセージだってブラウザの中でできる。ものすごくおおざっぱに言ってしまえば、Web2.0的企業はみんなこの考え方の上に乗っかっている。
このコンセプトは、10年間ずっと生き続けてきた。10年間もいろんな人の想像力をかき立てて、この活気あふれるIT業界を引っ張り続けたアイディアというのは、やはり大したものだと言わざるを得ない。毎日毎日インターネットのニュースを追い続けてきた間に、途切れ途切れのRealAudioから始まった音声・動画配信がDVD画質のストリーミング放送にまで進歩したり、寝不足な夜が続いたテレホーダイ時代から夜中に起きていなくても済むブロードバンド時代になったりはしたけれど、結局この中をうろうろしていたに過ぎないような気もする。
すべての機能がブラウザに集約しつつあるかに見える現在のWebサービスを究極まで推し進めると、500ドルPCにLinux OSとブラウザが搭載されていて、その中でアプリケーションをお借りしてあとはGoogleにお任せという世界なのか? ――いや、きっとそれくらい究極にまで推し進めない限り誰も「やり遂げた!」と満足できないのではないだろうか。
GoogleはUbuntuやMozillaをかなり強力に支援しているから、この方向にだってまだまだ面白いことは出てきそうだ。今だったら500ドルPCなんて言わず100ドルPCだって、うまいビジネスモデルさえ見つければ無料PCでもいけるかもしれない(一時期そんなパソコンもあったけれど)。そうしたらきっとWindowsなんていらない。それともビル・ゲイツが裁判で主張したように確かに「ブラウザはOS」で、起動時間1秒の超軽量Windowsなんかが出てくるのか?
さて、ブラウザの上でアプリケーションを動かすという点では目指すところはずっと変わらなかったという話を書いたけれども、何も変わらなかったと言いたいわけじゃない。むしろ、このアイディアの外の所に衝撃的だったことが沢山あった。
私にとって一番大きなインパクトがあったのは、Netscapeがブラウザのソースコードのほとんどを一気に公開したことだ。このことはLinuxと合わせて「オープンソース」という言葉を生み出すきっかけになった(この言葉に反対する人はまだたくさんいるけれど)。これまで企業が決して手放さなかった知的財産の固まりであるソースコードを一気に公開したということは、当時は本当に衝撃的だったのだ。そのおかげで、今ではプログラミングを習いたての学生でも凄腕のハッカーのコードを見て学ぶことだってできる。
インターネットに知を公開し、集積するこの流れは一過性では終わらなかった。
10年前の話の後では、もはや最近のことと言ってもいいかもしれないが、2001年にMITが大学で使用しているカリキュラムや試験問題、講義ノート、一部講義のビデオまでも含む授業内容をすべて無料で公開するという衝撃的な内容のプロジェクト「MIT
OpenCourseWare」を発表したことも忘れられない。
日本でも慶應大学の村井純教授が代表を務めるWIDE Projectがこの方面では頑張っていて、School
On the Internet(SOI)プロジェクトのサイトで、慶應大学の授業を中心とした講義を無償で動画配信している。米カリフォルニア大学バークレー校もたくさんの講義ビデオを公開している。もうこの流れは元には戻らない。
Googleは、知の公開・共有化への流れをさらに強烈に推し進めた。Google Library Projectでは全世界の図書館にある書籍を全文検索できるようにする壮大な仕事を現在も進めている(ただし、これには賛同する声ばかりではなく、Googleは米出版者協会に著作権侵害で提訴されたりもしている)。
私が高校生だった頃は、通学途上のターミナル駅にあった大きな本屋さんが私の世界の中心だった。しかし今やAmazonやGoogleを検索するだけで、世の中に何があるのか、何を調べればよいのか、どんな勉強をすればよいのか、自分の家にいながらにしてたちどころにわかる。これほどのインパクトある変革は長い歴史を見てもそうあるものではない。
そして、この激動の10年でひとつの小さな喜ばしい驚きであったのがINTERNET Watchが無事存続し続けたことだ。私などは小さな、小さな貢献しかできなかったけれども、インターネットに知識を集積するこの大きな流れに参加させてもらったことは光栄なことだった。とにもかくにも10周年。ひとえに読み続けてくださる読者の皆様のおかげなのである。
( 青木大我 taiga@scientist.com ) |
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