PC Watchが創刊から10周年を迎えた。激動する業界にあって、これだけ続いているのだから、何はともあれ、おめでたい。正式スタートは1996年7月22日のことだというが、この年のゴールデンウィーク明けあたりにプレオープンしたというから、もう少し歴史は古いことになる。多くのWebメディアが紙媒体とコンテンツを共用する(同一コンテンツのWeb展開)形でスタートしたのに対し、最初から独立したWebメディアであったPC
Watchは、ユニークな存在でもあった。
WebメディアであるWatchは、当然のことながらInternetの普及と密接な関連がある。Internetのルーツをたどれば、いにしえのDARPAにまでさかのぼられるが、一般向けメディアとしてのInternetの普及は、1995年11月に発売(日本)されたWindows
95を抜きに語ることはできない。Windows 95はPCの世界に、広く普及したGUIやPlug and Playをもたらしたと同時に、Internetへの入り口を提供してくれた。
それどころかWindows 95は、日本のパソコンユーザーにとっては、プリインストールされた初めてのネットワーク対応OSでもあった。確かにWindows
95以前にもWindows NT 3.1やMS LAN Managerなど、ネットワークを利用可能なOS、あるいは関連製品はあったが、これらが店頭で売られるパソコンにプリインストールされることはまずなかった。今では家電製品にさえ搭載されるTCP/IPのプロトコルスタックが、標準でパソコンに搭載されるようになったのはWindows
95からなのである。
ただし、Windows 95は最初からWebブラウザが搭載していたわけではない。Webブラウザ(Internet Explorer、あるいは当時最もポピュラーだったNetscape)は、別途ダウンロードする(無償)か、Windows
95のアドオンパックであったPLUS!(IE、有償)やパッケージ版(Netscape、有償)を購入する必要があった。Windowsにブラウザが標準搭載されるようになるのは、1996年末にリリースされたWindows
95 OSR 2.5から。そう考えるとPC Watchのスタートは、Windowsがブラウザを標準装備するより早かったことになる。まさにWebメディアの草分けと呼んで間違いないだろう。
Webブラウザやメールに代表されるPCの用途としての「Internet」は、一般消費者にPCを買う明確な理由となった。パーソナルコンピュータが誕生したのは1970年代末のことだが、「Internet」が登場するまで、フツーの人にそれほど有益な製品だったとは思えない。それまでのパーソナルコンピュータは、概念としては何でもできるけれど、実際には何にもできない(一般の人が買ってもすぐに何かができるわけではない)キカイであった。ただ、夢だけはたくさん詰まっていたと思うし、その夢を信じたからこそ、みんなパーソナルコンピュータを買ったのだと思う。
さて、Internetによりパーソナルコンピュータは、初めて一般の人にも役に立つ「商品」になったわけだが、それは社会を変えると同時に、パーソナルコンピュータそのものを大きく変えた。幅広い層に売れるようになったパーソナルコンピュータは低価格化し、多くの人の手に届くところに降りてきた。かつて「(コンパック)ショック」と形容された価格は12万8000円だったが、今では液晶ディスプレイを含めて10万円を切るパソコンなど珍しくもない。
パソコンが普及する上で低価格化は間違いなく必要なことだった。まだパソコンが行き渡っていない途上国の人々に使ってもらうには、さらなる低価格化も必要であり、それに向けた取り組みも行われている。だが、こうした低価格化を推進する上で、失われたものも少なくない。
低価格化、すなわち祖利益率の減少は、体力の少ないところ、小規模な会社の市場からの退場を促す。グラフィックスハードウェア、ハードディスク、プロセッサ、チップセット、そしてアプリケーションソフトなど、多くのベンダで賑わった市場が、すっかり寡占化の進んだ市場に変わってしまった。かつては今月のグラフィックスチップ、あるいは今月のチップセットといったコラムが成り立つほどだったことなど、今では夢のようだ。
と同時に、かつては有力なIT関連製品の生産地に数えられていた日本も、今ではモバイル向けの軽量PCなど、わが国以外に市場のあまりない特殊な製品や最終組み立て工程を除き、製造とは縁が薄くなって久しい。要するに、パソコンは「日本の産業」ではなくなってしまった。基本的にハードウェアは台湾の産業であり、ソフトウェアは、インドや旧東欧諸国が台頭しつつあるとはいえ、基本的にはアメリカの産業である。悲しいけれど、これが現実だ。
パソコンの低価格化は、標準化と表裏一体である。低価格化には標準化が不可欠であり、標準化が低価格をもたらす。おそらくPC Watchが誕生した頃は、PC-9801シリーズでアクセスしていた人も多かったに違いない。が、世界標準は、わが国固有のPCを飲み込んでしまった。その様子は、PC
Watchを読んでいれば、事細かく分かったハズだ。
果たしてこれからの10年に何が起こるのか、予想することは難しい。が、願わくばPC市場が、低価格一辺倒ではなく、高付加価値かつ高価格の製品を許容できるだけの広さを持ったものになって欲しいとは思っている。PC
Watchがその様子を伝えてくれるなら、それに勝るものはないと、一読者でもある筆者は考えている。
[Text by 元麻布春男] |
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